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2019-12

会津若松・新撰組 - 2014.01.07 Tue

 京都、鳥羽伏見の戦い、淀千両松の戦いでさんざんに負け、大阪から船で体制の立て直しを願い江戸へ向かった生き残りの新撰組。
その後、局長の近藤勇は甲州勝沼の戦いにも敗れ越谷へ。とうとう流山で新政府軍に投降。
改名していたが、新政府軍の中に近藤勇と面識のある物が居り東京板橋で斬首される事に。
首は京都三条河原に晒されたが、その首を仲間が奪還し、当時会津若松に居た土方歳三に届けられ、天ねい寺に埋葬された。
(京都東本願寺や三鷹、板橋や山形米沢などに埋葬されたとの諸説あり)

 会津若松市内・奴郎ヶ前から本堂に向かい・・・ 
会津 040
 本堂裏山の見晴らしの良い頂上付近まで約40分の坂道を登り・・・
会津 042
 近藤勇局長の墓前へ。
風雅お姉ちゃんと競い合って登ったので汗だく。

 次に向かったのが七日町駅近くにある阿弥陀寺。
会津 080
 境内には御三階という珍しい建造物があるのですが、それが目的ではなく・・・

 新撰組副長助勤・三番隊隊長であった斎藤一のお墓へ。
会津 081
 池田屋事件の活躍で朝廷と幕府から恩賞を受けた後、伊藤甲子太郎率いる御陵衛士の間者(スパイ)として油小路事件に至る重要な情報を提供。
沖田総司、永倉新八と並ぶ剣の達人であったが、鳥羽伏見、甲州勝沼の戦に敗れた後、会津へ向かう。
そこで会津藩指揮下に入ったが、白河口、母成峠でも敗れた。
会津藩が降伏した後も戦い続けたが、会津藩が斗南藩として作物の育たない僻地へ追いやられた時にも忠義を尽くし帯同。
明治7年頃警視庁に入庁し、恨みを晴らすべく西南戦争に斬り込んだ。
晩年は剣の指導者として活躍の後、72歳で永眠・・・ここ阿弥陀寺に埋葬されたとのこと。

 大義の為、愛国のため。。。今では死語?

 つづく。 
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