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2014-01

播州赤穂 - 2014.01.25 Sat

 大我は現在、クラッシックの勉強もしています。
ある楽器もレッスン中なのですが、そのクラッシックの師匠の楽器を借りられることになり、楽器の置いてある所へ引き取りに行ってきました。 
 小雪のちらつく中、高速を飛ばし3時間・・・もうすぐ岡山やん!って言いながら播州赤穂へ。
場所は、赤穂の某中学校。到着を吹奏楽部のお二人が出迎えてくれ部室へ。
既に解体され綺麗に梱包してくれていた楽器を部員全員で楽器車まで運搬してくれた。
テキパキと、そして礼儀正しい部員達・・・お土産の数が少なかったこと・・・反省してます。。。

 せっかく赤穂まできたので・・・
lesson 005
 大我初体験の赤穂義士の地・・・大石神社に参拝。
赤穂浪士の物語には諸説ございますが、そのほとんどが赤穂側から観た視点で描かれております。
吉良側からの視点で描こうとすると、企画の段階でボツになるのがオチってことで、ことごとく頓挫したようです。
一方通行のストーリーばかりが流され(視聴率優先)、ほぼマインドコントロールされたような感じですが、その時のリーダーの画策により多くの若い命が散ったのは事実。そんな彼らに手を合わせてきました。

 長州vs会津にも行った。赤穂に来たから今度は吉良町にも行ってみよう。


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北米からの靴底…? - 2014.01.20 Mon

 大我家と古くからお付き合いしてるノエルおばちゃんからある物が空輸されてきた!
ノエルおばちゃんはアメリカ西海岸のポートランドに住んでる。
東海岸でのライブが主な大我の為、いつも8時間かけて西海岸から東海岸のニューヨークにまで応援に駆けつけてくれる大我ファミリーのひとり。
 初めての大我ライブは9年前のハーレム。大我も初めてのハーレム入りだったのですが、米国人のノエルおばちゃんも初めてのハーレム・・・白人の、現在50歳以上の人たちの常識として、それも深夜のハーレムに足を踏み入れるなんて・・・親戚一同が大反対する行為だった・・・「私の周りの友人で、タクシーや観光バスから足をハーレムの地面に着けた人はいないのヨ~!皆に手紙を書くワ~!」って興奮してたのが懐かしい。

 この前のニューヨーク公演にも泊りがけで来てくれ、その時の雑談で花が咲き、興奮して話してくれていた日本の高級食材を空輸してくれた。サンキュー!
lesson 002
 それが・・・松茸~~~!
現地ポートランドやイチローが在籍していたシアトルは、数年前から日本の松茸重要に一攫千金を狙った松茸ハンターが大流行!
もともと、現地の人たちは松茸には無関心・・・でも日本での価格と需要を聴いてビックリ!・・・「松茸みたいなん、どこにでもあるやん!」・・・「それが金になんの?!」・・・って、こぞって松茸狩りに勤しんだらしい。
 最初の内の数人は儲けたらしいのですが、その噂でハンターがてんこ盛り増えてしまい、また、採っても採ってもてんこ盛り生えてくる松茸に価格が暴落。。。今では干物にしないと供給過多状態。。。

 そして、ふと我に返った現地の人たちが、「こんなもん、なにがエエの?どこが旨いの?」ってのが現在。
ノエルおばちゃんも「松茸のどこが美味しいの?」ってず~~~っと疑問だったので、一度ポートランドの松茸を試食して意見を聞かせてほしかったんだって!

ってな事で・・・水で戻し、お鍋に入れてみました!
せっかくの松茸なので大我の麻雀の師匠をお呼びし、チョット奮発して自然薯スリスリして団子を作り、鰹出汁のお鍋~~~!
lesson 003
 第一声!・・・「マズぅ~~~!」
「なんじゃコリャ!匂いも味も、マッタケ無いやんケ~~~!」ってな驚き!
柔らかい靴底をしがみながらの宴となってしまいました。。。トホホ。。。
「ヨシ!松茸のお吸い物を送ってあげよう!・・・松茸ってこういう匂いやねんで~!って教えてあげな、日本人がバカにされる~~~!」っと鼻息を荒くしていた大我ファミリーでした。

 「早よ、鍋片付けて!」
っと始まったのが年始恒例の麻雀大会!
今年はずいぶんと遅い大会日となりました。色んな勉強や色んな楽器のレッスンで頭が大きくなっていた大我には嬉しいガス抜き。。。
lesson 004
 夜遅くまで楽しい大会。
とうとう最後は師匠を打ち負かした大我・・・「早よ来年にならんかナぁ~~~。。。」だって。


会津若松・旨いモンと、お・も・て・な・し! - 2014.01.09 Thu

 大型ホテルの夕食付プランの食はハズレが多い。
だから、朝食だけ付いたプランにしていただきました。

しか~し、ここの朝食は北会津こしひかりに地鶏の卵かけご飯が最高!郷土のお総菜がズラリと並び、あんころ餅やズンダ餅まで。
っということで、翌日の夕食をチャレンジしてみる事に!
会津 026
 『野遊び膳』という野山の旬を生かしたお料理の数々・・・肉系は米沢牛の陶板焼き!
しかし献立の中に“生トロ湯葉刺し”というのがあり、「京都の人間が会津まで来て湯葉はないやろ・・・」と、思いきって「湯葉の代りに別な物をいただけませんか?」とお願い。
「料理長に聞いてみます!」ってことで、運ばれてきたのが・・・

会津 025
 “馬刺し!”
湯葉に全く興味を示さない大我&風雅は大喜び!
日本三大産地、熊本・長野・そして会津!これで全てを制覇!・・・言ってみるもんですネ!?

会津 024
 郷土料理の“こづゆ”とお替り自由の北会津こしひかりで満足満足!

 もちろん!
会津 089
 お宿以外の夕食でも“馬刺し”!三度楽しみました!(今年すでに4回目!)

 市中散策の間食には
会津 067
 名物“粟餅”
白虎隊士達も楽しんだという“粟餅”・・・できたてアッツアツは格別です!

 嬉しいハプニングも!
白虎隊士の眠る飯盛山は観光客が多いのですが、少し北にある、容保公が白虎隊に出陣命令を下した『旧・滝沢本陣』は観光客ゼロ。
旧・滝沢本陣入口にある立て看板を読んでいると、軽トラックが急停車し、ブ~ンとバックしてきた。
運転席のおじさんが手招きしてる・・・「ん?」っと近寄ってみると・・・
「若けぇのに感心だね~!ホラッ!これさ持ってけっ!えから、えから!」
「ん?何人だ?ホラッ、持ってけっ!えから、えから!」と・・・
会津 074
 “柿”を頂戴しました!
帰宅してからいただいたのですが、愛情たっぷり味の柿でした!

 鶴ヶ城から西へ徒歩30分。
どうしてもここのソースカツ丼が喰いたくて・・・
会津 115
 11:30分、既に満席で並ばないといけない状態の『いとう食堂』
「表で待たせていただきます!」と。その間も店前まで来ては諦める車多数。
ガラガラっと扉が開き店員さんが、「寒い中ごめんね~!こっち、こっちさ来てけろ!」っと、店の裏側へ誘導。
一般住宅の玄関・・・「さ~、入って入って!」と、通されたのが居間。
会津 116
 コタツに足を突っ込み冷えた体を温める大我&風雅
待つ事15分・・・現れたのが・・・
会津 117
 コレ!
会津 119
 肉厚~~~!でもヤワラカーーーイッ!まいうぅ~~~!
味噌汁も具沢山で美味し~い!体の芯まで温めてくれた『いとう食堂』さんでした!

 充実した会津若松の三日間・・・沢山の、そして温かな“お・も・て・な・し”を受けました!
風雅お姉ちゃんなんか、「うち、会津若松に住みたい!」って叫んでました! 

 四日目最終日。
ここまで来たからにはっ!って事で朝から車を飛ばし50分!・・・喜多方へ!
そう!喜多方っといえば、ラーメンでしょっ?! 
会津 001
 たどり着いたのが『まこと食堂』の“朝ラー”!
“朝ラー”とは、朝から食べるラーメンの事。
ここ喜多方市では朝6時半とか7時から開店し、お昼の2時ころには閉店するというお店が数十件。
寒い地域ならではの文化ですネ~!
会津 002
 太めのちじれ麺にあっさりしているのにコクのあるスープ・・・笑顔になっちゃいます!

 食べれる!って事に感謝し、亡くなった方々を追悼する旅・・・
帰宅してからは“壬生義士伝”や“永遠のゼロ”を“朝読”し始めた大我でした。

 おしまい。
 

会津若松・東山温泉 - 2014.01.08 Wed

 昔の人は全国津々浦々、よく歩いたもんですネ~。
こちらは“まちなか周遊バス・あかべぇ”フリー乗車券を駆使してバス移動。
会津 030
 細い温泉街路を深く入った所が・・・
会津 102
 会津若松ツアーのお宿。

会津 029
 宿眼下には清流が流れ・・・

会津 028
 お山には雪が。。。

会津 096
 4種類の掛け流し温泉・・・
竹久夢二や与謝野晶子が愛した温泉・・・

会津 099
 宇都宮で負傷後会津に入り、ここで治癒した土方歳三。
風雅お姉ちゃんは仕事上手荒れがひどく、三日間の治癒。大我はどこを治癒したんでしょう???

会津若松・新撰組 - 2014.01.07 Tue

 京都、鳥羽伏見の戦い、淀千両松の戦いでさんざんに負け、大阪から船で体制の立て直しを願い江戸へ向かった生き残りの新撰組。
その後、局長の近藤勇は甲州勝沼の戦いにも敗れ越谷へ。とうとう流山で新政府軍に投降。
改名していたが、新政府軍の中に近藤勇と面識のある物が居り東京板橋で斬首される事に。
首は京都三条河原に晒されたが、その首を仲間が奪還し、当時会津若松に居た土方歳三に届けられ、天ねい寺に埋葬された。
(京都東本願寺や三鷹、板橋や山形米沢などに埋葬されたとの諸説あり)

 会津若松市内・奴郎ヶ前から本堂に向かい・・・ 
会津 040
 本堂裏山の見晴らしの良い頂上付近まで約40分の坂道を登り・・・
会津 042
 近藤勇局長の墓前へ。
風雅お姉ちゃんと競い合って登ったので汗だく。

 次に向かったのが七日町駅近くにある阿弥陀寺。
会津 080
 境内には御三階という珍しい建造物があるのですが、それが目的ではなく・・・

 新撰組副長助勤・三番隊隊長であった斎藤一のお墓へ。
会津 081
 池田屋事件の活躍で朝廷と幕府から恩賞を受けた後、伊藤甲子太郎率いる御陵衛士の間者(スパイ)として油小路事件に至る重要な情報を提供。
沖田総司、永倉新八と並ぶ剣の達人であったが、鳥羽伏見、甲州勝沼の戦に敗れた後、会津へ向かう。
そこで会津藩指揮下に入ったが、白河口、母成峠でも敗れた。
会津藩が降伏した後も戦い続けたが、会津藩が斗南藩として作物の育たない僻地へ追いやられた時にも忠義を尽くし帯同。
明治7年頃警視庁に入庁し、恨みを晴らすべく西南戦争に斬り込んだ。
晩年は剣の指導者として活躍の後、72歳で永眠・・・ここ阿弥陀寺に埋葬されたとのこと。

 大義の為、愛国のため。。。今では死語?

 つづく。 

会津若松・武家屋敷 - 2014.01.06 Mon

 幕末期、京都は不定浪士の巣窟となり荒れ放題。
幕末期はいづれの藩も財政難。幕府は忠義を尽くす会津に京都守護職を命じ、遠く離れた会津から京へ。
朝廷も会津容保公に大いに期待。会津容保公は新撰組を許可し京都の警察を勤めさせた。

 だが、幕府から打診があった時から最後まで京都守護職に反対をしていたのが家老である西郷頼母。
結局、戊辰戦争に引き込まれ落城し、藩は未開の開拓地(青森・斗南)に飛ばされた。

 敷地二千四百坪、三十八の部屋を持つお屋敷の建坪は二百八十坪。
会津 032
 
会津 034
 忠実に再現されたお屋敷の立派なこと!
入館料は少々お高いのですが、維持管理を考えると仕方ない。。。

会津 036
 表玄関から右が、藩主容保公がおいでになった時にだけ使用した『お成りの間』

 戊辰戦争の際、いよいよ籠城戦となった時、屋敷を預かる婦女子一族二十一人が屋敷内で自刃。
それが再現されているのですが、大我姉弟は大きなショックを受けているようでした。。。

 つづく。

会津若松・鶴ヶ城 城下町 - 2014.01.05 Sun

 次に向かったのは会津若松の本丸、『鶴ヶ城』
会津 110
 といってももちろん復元です。(昭和40年)
会津 112
 姉弟で持ち上げてみました!

会津 107
 天守閣から東を望みました。
前方の山の中腹が大我達の宿なんです。

 城内全体としてはそれなり…の展示内容…スミマセン。『八重の桜』ファンにとっては楽しいでしょう!

会津 082
 退城したあとは城下町を散策。

会津 071
 郷土の名品、会津蝋燭の絵付けを見学したり・・・

会津 106
 『日新館・旧天文台跡』

会津 104
 『直江兼続・屋敷跡』

会津 086
 『会津藩家老・西郷頼母邸跡』
悲劇の地です・・・明日は西郷頼母の屋敷を復元した『武家屋敷』に行こう。

 つづく。


会津若松・日新館 - 2014.01.04 Sat

 翌日は少し足をのばし『会津藩校・日新館』へ。
当時は会津城(鶴ヶ城)の西側にあったのですが、戊辰戦争で焼失したため現所在地に復元。
会津 008
 敷地八千坪、建物は千五百坪・・・ゆっくり見廻ると3時間はかかってしまうほど広い!
会津 009
 江戸時代、全国諸藩三百校の中でも規模内容が随一であったことが偲ばれます。

会津 012
 「ならぬことはならぬものです」!
「戸外では婦人と言葉を交えてはなりませぬ」という“什の掟”もありましたが・・・どうする?!大我!

 学舎は現在でいう一貫校。小学校から大学まであり、天文学・化学・蘭学等の多数教科制に加え、兵学・弓術・刀術などの武芸をとりいれた文武両道。日本で初めて給食制度を用いたのもここだとのこと。

 順路に沿って歩くと弓道場が。
会津 015
 御年輩の武士にご指導いただく大我隊士。

会津 017
 娘子軍の風雅も参戦。

 色々と勉強になりました!

 つづく。

会津若松・白虎隊 - 2014.01.03 Fri

 
 つい先ごろまで?放映中だったNHKドラマ『八重の桜』で盛り上がっていた中?の、会津若松を勉強&堪能させていただきました。
そんな中、一番若い観光客が大我&お姉ちゃん。ましてや、そのドラマを一度も見たことのない御一行は大我達だけかも。。。
 会津若松は京都と深い関係があり、大我にはその歴史の勉強&15歳は既に大人であるとの自覚を叩きこむため!?
また、幕末の歴史大好きな大我のお姉ちゃんも是非どうぞ!とのプレゼント。

 最初に訪れたのが、大我と同年代の若者達が自刃した飯盛山……戊辰戦争の悲劇の地です。
会津 048
 他に観光客の姿がないでしょ?!
こんな急階段を登るのは若者達だけです!他の方達は右側にある“動く歩道坂道仕様”200円で!

会津 050
 白虎隊自刃跡

会津 053
 蝋燭に火を灯して。。。

会津 052
 この高台から黒煙が立ち昇る城下町を見、敵に捕らわれるくらいなら。。。と、自刃を選択してしまった彼ら。。。
会津 054
 隊士たちが眠るお墓で。。。
西洋史の勉強が多い大我ですが、日本の歴史も入れないとネ!?

会津 057
 少し下った所にある国重要文化財の『さざえ堂』
会津 063
 高さ16メートル六角三層の建築物で、正面入り口かららせん状に上がり・・・
会津 061
 てっぺんまで登ったら来た道を下るのではなく、一方通行のまま下ってお堂の裏側に出る・・・
世界にも例を見ない名建築物なのです。しかも国重文なのに土足でOK!

 白虎隊を含めた当時の子供たちがこのお堂でよく遊んでいたという話に少しホっとしました。

 少し歩いて『白虎隊記念館』へ。
忠義を尽くす会津藩。それを応援する幕軍の大鳥圭介や水戸藩士、鳥羽伏見と淀千両松の戦いに敗れこの地までたどり着いた新撰組。
かたや錦旗を挙げた薩摩・長州・土佐等の西軍は奥羽越列藩を切り崩し会津を包囲。
会津を含む奥州諸藩は東武天皇を立てたこちらも官軍。
見る視点が違えばなんとも皮肉なはなしです。“勝てば官軍、負くれば賊軍”

 飯盛山を下り少し北上。
会津 072
 『会津藩 御本陣(滝沢本陣横山家住宅)』
会津 076
 慶応4年8月22日、藩主松平容保公が白虎隊に出陣命令を下した所です。

 こういう所を訪れるといつも思うのですが、特に真冬。
隙間だらけの家屋に囲炉裏と台所の火のみ・・・靴を脱いであがると一気に下半身が痺れてくる・・・当時使っていた煎餅蒲団なんかもあるのですが、当時の冬を想像しただけで。。。この様な環境の中、子供たちの生活を考えると。。。
年頃の子供に旅させるのは、寒む~い、オフシーズンが一番ですネ!

 当時の白虎隊と同い年の大我・・・何を感じたのでしょうか?

 つづく。

バチあたり?午年は旨い馬供養から! - 2014.01.02 Thu

 大我ファンからいただいた汚職事件・・・ちゃうちゃう!お食事券!
未だ、このPCとは意思疎通できない。。。

 ご用意いただいたのが・・・
年末 011
 お馬さ~~~ん!お造り~~~!と、
年末 012
 上ロース・ヒレ・上ハラミの馬焼肉ぅ~~~!と、
年末 013
 お馬さんのユッケ丼!!!
年末 018
 お口直しに馬コロッケ!

 大人達には・・・
年末 008
 馬レバ刺し&ハツ刺し~~~!

 出されたものはチャンと最後まで食べないと!

 これで今年は失踪・・・ちゃう!疾走するゾォ~~~!

新年はここから! - 2014.01.01 Wed

 みなさん!新年明けましておめでとうございます!
大晦日の夜までガッツリドラム練習&ピアノ練習、音楽史を勉強した大我・・・地道に邁進しておりやした!
今日から遅い冬休みに突入・・・休みが取れたお姉ちゃんと・・・
年始 019
 “おせち”で新年のご挨拶。
今年の“おせち”も手を抜かさせていただきました。全国の大我ファンから沢山届けていただいたので、チーズ入り八幡巻と、明太子入り出汁巻きを作っただけ。。。ありがたき幸せ!
送られてきた大量の苺・みかん・リンゴでビタミン摂取、田舎のバアバアからの手作り“ヨモギ餡子餅”を焼いて、知人からの“栃餅”をお雑煮で堪能!・・・年初も皆様からの贈り物で生命を繋いでおりやす!

 新年はここから!・・・お昼からは恒例の・・・
年始 024
 芸能神社参拝。
年始 022
 大我は大吉、お姉ちゃんは中吉のおみくじを引いた・・・さて今年はどんな年になるのでしょうか?!

 皆様にとっても良いお年になりますように!


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