サッカー予選 - 2011.09.28 Wed
秋季大会(新人戦)の予選リーグがありました。
市内約70チームが12のブロックに分かれ、1ブロック6チーム、各上位3チームが本選に出場できます。
演奏活動で部活練習を時々休まなくてはならなかった大我。でも、それ以外は毎日夜遅くまで部活を頑張ってました。しかも、大会の2週間前の間、部活を休むと試合に出さないとの通達があったため、予定を立てるのが大変でした。(9月にライブ予定を入れなかったのはこの為でした)
1年生でレギュラー入りは無理だとしても、サブのメンバーに選ばれるかどうか心配な大我でしたが、ニコニコ顔で帰ってきました。「見て見て、ユニフォーム、19番もろた!フォアード(トップorトップ下)の控え選手やで!」
「大量得点でリードしてたら出れるかも?!」と期待が膨らみましたが、力的には均衡したグループに・・・
9月の連休を利用して計5試合。
3試合終了時点で、1勝1敗1分け。
1戦目の引き分けに終わった試合。後半残り5分の出場でしたが、防戦一方でトップにはボールが渡らず、ほとんどボールに触れなかった大我。「あかん、欲求不満ヤ~!」と言って、夜の公園で一人“メッシ”をイメージしながら練習をしていましたが、2戦目、3戦目と出場機会無し。「今日も出れへんかった。。。」と落ち込んで帰ってきてました。
「大丈夫!大事な場面で絶対使って貰えるって!」と励ましていましたが、残り2試合(4戦、5戦)、全て勝たないと予選敗退となるため、内心“1年生の控え選手では無理かも・・・”と心配。

試合前のミーティング。“カツ”を入れる熱血顧問!皆、闘志満々!(左から3人目が大我。チッチャ!)
4戦目、3-0で快勝。でも、出場機会無し。(大事な試合・・・当たり前か)

1戦目~5戦。試合開始直後からアップを続ける大我。監督からの声は期待薄でも体を動かし続け、チャンスを狙います。
最終の5戦目。絶対勝たなくてはなりません。
果敢に攻めるも後半残り15分、0-0のまま。引き分けは勝ち点1。このままでは本選出場は絶望的。こんな大事な試合には出れないな・・・と思ってた。
その時!声がかかりました!

勢いよくグランドに飛びこむ大我。(小さくて分かりづらいデス。リュックを背負ってる人の右側)

水を得た魚の様に走り続けます!・・・

ボールを支配し続け、相手陣内で怒涛の攻撃!・・・
大我のマークに付く相手選手(6番)のデカイこと・・・スピードで勝負ダ!

残り10分。チームメイトがペナルティー内で倒され、PKゲット!ゴ~~~~~~ル!

残り5分。怒涛の攻めに防戦一方の相手は、たまらずファール。ゴール前25メートルからのフリーキックがネットを揺らし、ゴ~~~~~~ルッ!(こぼれ球を狙う大我)
2点をゲットした後トップ下に位置を下げ、守備に貢献。何度も相手のファールを誘い、相手の流れを切る大我。・・・そして終了のホイッスル。
最終戦で初めてチームの白い歯がこぼれるのを見ました。青春してルゥ~!
予選突破、おめでとう~!
*全試合、大我に内緒で試合観戦してました。(木の陰に隠れて・・・)
予選突破が決まった夜、バラシました。
「監督が交代選手を選ぼうとベンチ前でアップする控え選手を見渡した瞬間、メッチャ張り切ってアピールしてたナァ?!」
「エッ、なんで知ってんの?・・・」
市内約70チームが12のブロックに分かれ、1ブロック6チーム、各上位3チームが本選に出場できます。
演奏活動で部活練習を時々休まなくてはならなかった大我。でも、それ以外は毎日夜遅くまで部活を頑張ってました。しかも、大会の2週間前の間、部活を休むと試合に出さないとの通達があったため、予定を立てるのが大変でした。(9月にライブ予定を入れなかったのはこの為でした)
1年生でレギュラー入りは無理だとしても、サブのメンバーに選ばれるかどうか心配な大我でしたが、ニコニコ顔で帰ってきました。「見て見て、ユニフォーム、19番もろた!フォアード(トップorトップ下)の控え選手やで!」
「大量得点でリードしてたら出れるかも?!」と期待が膨らみましたが、力的には均衡したグループに・・・
9月の連休を利用して計5試合。
3試合終了時点で、1勝1敗1分け。
1戦目の引き分けに終わった試合。後半残り5分の出場でしたが、防戦一方でトップにはボールが渡らず、ほとんどボールに触れなかった大我。「あかん、欲求不満ヤ~!」と言って、夜の公園で一人“メッシ”をイメージしながら練習をしていましたが、2戦目、3戦目と出場機会無し。「今日も出れへんかった。。。」と落ち込んで帰ってきてました。
「大丈夫!大事な場面で絶対使って貰えるって!」と励ましていましたが、残り2試合(4戦、5戦)、全て勝たないと予選敗退となるため、内心“1年生の控え選手では無理かも・・・”と心配。

試合前のミーティング。“カツ”を入れる熱血顧問!皆、闘志満々!(左から3人目が大我。チッチャ!)
4戦目、3-0で快勝。でも、出場機会無し。(大事な試合・・・当たり前か)

1戦目~5戦。試合開始直後からアップを続ける大我。監督からの声は期待薄でも体を動かし続け、チャンスを狙います。
最終の5戦目。絶対勝たなくてはなりません。
果敢に攻めるも後半残り15分、0-0のまま。引き分けは勝ち点1。このままでは本選出場は絶望的。こんな大事な試合には出れないな・・・と思ってた。
その時!声がかかりました!

勢いよくグランドに飛びこむ大我。(小さくて分かりづらいデス。リュックを背負ってる人の右側)

水を得た魚の様に走り続けます!・・・

ボールを支配し続け、相手陣内で怒涛の攻撃!・・・
大我のマークに付く相手選手(6番)のデカイこと・・・スピードで勝負ダ!

残り10分。チームメイトがペナルティー内で倒され、PKゲット!ゴ~~~~~~ル!

残り5分。怒涛の攻めに防戦一方の相手は、たまらずファール。ゴール前25メートルからのフリーキックがネットを揺らし、ゴ~~~~~~ルッ!(こぼれ球を狙う大我)
2点をゲットした後トップ下に位置を下げ、守備に貢献。何度も相手のファールを誘い、相手の流れを切る大我。・・・そして終了のホイッスル。
最終戦で初めてチームの白い歯がこぼれるのを見ました。青春してルゥ~!
予選突破、おめでとう~!
*全試合、大我に内緒で試合観戦してました。(木の陰に隠れて・・・)
予選突破が決まった夜、バラシました。
「監督が交代選手を選ぼうとベンチ前でアップする控え選手を見渡した瞬間、メッチャ張り切ってアピールしてたナァ?!」
「エッ、なんで知ってんの?・・・」
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日本代表 - 2011.09.14 Wed
大活躍を続け引っ張りだこの“なでしこ”・・・ではなく、今のところ負け知らずのザック率いる“サムライブルー”・・・でもなく、“桜のジャージ”。・・・そう、ラグビー日本代表。命をかける男達です。
現在、ラグビーワールドカップがニュージーランドで開催中なのですが、“日本代表”の選出に賛否がある。
外見上どう見ても日本人には見えない巨漢が多く選出されている。
ニュージーランド、トンガ、サモア出身の彼等。でもその多くは日本国籍を取得しているか、もしくは個々のデビュー戦が日本国内(多くは高校生時代から日本に留学)、祖国のユース代表で戦った事のない者達。
ラグビー界のルール上、それらをクリアしていれば問題はないのだが、どうもしっくりこない・・・との批判続出。
祖国の代表になれる確率が低く、日本だとワールドカップに出場する可能性が多いと踏んだのであろう・・・日本の社会人ラグビー部(企業)に就職できれば祖国の家族を養える事が出来るからなんだ・・・大敗してもいいから純日本人だけで戦ってほしい・・・と、様々な声が。
大我ン家で考えてみた。
国籍を変える勇気があるか・・・その国の土になれるか。
スポーツの中でも特にラグビーフットボールは過酷だ。
私(管理人B)はラグビーの聖地『花園ラグビー場』によく通った。高校生の試合から社会人の試合まで。(注・テレビドラマ等の影響ではありません!笑。同級生のお父さんが近鉄の選手だったので。)
特に花園は、選手との距離が近く、ゴツンッ!という骨と骨がぶつかる音がよく聞こえる。骨が折れる音や、筋が切れる音が聞こえる。隣のサブグランドなんかは、選手が観客席に突っ込んでくる!まさに生死をかけた肉弾戦。半身不随になる者も多く、死者まででる。“土になる”“ここで倒れても本望”との覚悟が感じられる。
(プロレスラー、ミル・マスカラスがカッコイイと思っていた私・・・強烈なそのインパクトに、プロレスに全く興味がなくなったのを覚えてます。)
サッカーにしてもラグビーにしても日本なりの歴史があるが、外国出身選手の貢献度は非常に大きい。
チョット前のラモスさんやサントスさん、この前のトゥーリオ選手達に期待し、一喜一憂したものだ。
その選手達が国籍を変えた、変えようと考えた時期の悩みや志しなんかつゆ知らず。
現在、“サムライブルー”“桜のジャージ”も外国人監督が“日本代表”の監督。でも違いがある。
負けない日本を統率する監督に対しては、国籍に関するクレームは今のところ少ない。そこに“日本代表”の定義は関係ないようで、強ければ良いみたい。
もし今回の“なでしこ”・・・
殆んどが帰化した選手達で構成されていたら、どうなってたんでしょう。国民栄誉賞も、微妙だったんでしょうネ。
身体リスクが大きなラグビーフットボール。
母国に比べてすごし易いからと国籍を変えたのでしょうか。
大ケガをしても何の保証もありません。半身付随になったら祖国に戻り、また元の国籍に戻すのでしょうか。
人気競技ならまだしも、人気低迷する日本ラグビーを何故選んだのか。
ニュージーランドなんか特に、ラガーマンはそれだけで英雄です。国の誇りと称され、尊敬されます。でも何故・・・
“土になる覚悟”がそのプレイから伝わります。
彼らは私たちよりも“日本国”を愛してるように見えます。
スポーツの“日本代表”とは比べ物になりませんが、大我も“日本代表”として韓国、シンガポール、中国に行きましたが、いつも必要となったのが“日本人としての覚悟”と“堂々とした態度”でした。それらを経験すればするほど“静かに染み出る愛国心”が育まれていくのだと感じました。
一度、生の彼らのラグビ-プレイを見て下さい。国籍を変えてから日本人になったのではなく、その前から、日本での日本人との生活から、日本人としての“静かに染み出る愛国心”が心を動かした様に見えます。“堂々とした覚悟”がひしひしと伝わってくるのです。
彼らなら、拉致被害者を“日本人”として奪還してくれるかも?!そんな期待までしてしまいます。
同じ土を踏み、空気を吸い、お米を食べ、日本の災害に貢献する・・・(あまり取り上げられませんが)
同じ家族として日本で暮らしているのに・・・
その昔、大我はラグビー選手でした。
私(管理人B)は野球一筋でしたが、ラグビー選手には特に尊敬の念を抱いてました。
ジャズを聞かせながら育てましたが、何かスポーツもさせたい・・・是非、ラグビーに取り組んでもらいたいと、3歳の時に入部。
小さいラガーシャツ(それでもダボダボ)に大きな楕円形ボールを抱えランニング。毎日、ランニングからスタート。
400メートルのトラックを、小学生高学年が引っ張って走るのですが、ついて行くのはやはり無理。
最短距離の内側を走っているかと思いきや、次第にコースを離れ、渦巻きを描くようにどんどんトラックの中心に近付いて行き、挙句の果てに座り込んで砂イジリ・・・
「どうしたんや?!」・・・「だって、ボールで遊びたいのに、走ってばかりや」って。
それから10年・・・サッカー部の大我は、走る事の大切さをやっと実感できたのです。
「よー覚えてへんけど、あの時チャント走っといたら、今はもっと楽やったやろナ~」って。
「中学校にラグビー部があったら、絶対入部させるのにな~」と言うと、「アカン、あれは絶対死んでしまう・・・ドラム(普通の生活)がでけへんようになるリスクが多すぎる・・・今の自分はここの“土”での生活が一番イイ!」と。
相撲界、政界がお粗末なこの日本でも、日本代表を目指してくれたラガーマン達。ありがとう!
万が一(スミマセン)、世界制覇するような事があっても、一般世論とはノーサイドという訳にはいかないと思います。政府も国民栄誉賞授与にはおよび腰になるでしょう。でも、大我家は応援します!
“桜のジャージ”に袖を通せば我らが代表!頑張れ!ラグビー日本代表!!!
現在、ラグビーワールドカップがニュージーランドで開催中なのですが、“日本代表”の選出に賛否がある。
外見上どう見ても日本人には見えない巨漢が多く選出されている。
ニュージーランド、トンガ、サモア出身の彼等。でもその多くは日本国籍を取得しているか、もしくは個々のデビュー戦が日本国内(多くは高校生時代から日本に留学)、祖国のユース代表で戦った事のない者達。
ラグビー界のルール上、それらをクリアしていれば問題はないのだが、どうもしっくりこない・・・との批判続出。
祖国の代表になれる確率が低く、日本だとワールドカップに出場する可能性が多いと踏んだのであろう・・・日本の社会人ラグビー部(企業)に就職できれば祖国の家族を養える事が出来るからなんだ・・・大敗してもいいから純日本人だけで戦ってほしい・・・と、様々な声が。
大我ン家で考えてみた。
国籍を変える勇気があるか・・・その国の土になれるか。
スポーツの中でも特にラグビーフットボールは過酷だ。
私(管理人B)はラグビーの聖地『花園ラグビー場』によく通った。高校生の試合から社会人の試合まで。(注・テレビドラマ等の影響ではありません!笑。同級生のお父さんが近鉄の選手だったので。)
特に花園は、選手との距離が近く、ゴツンッ!という骨と骨がぶつかる音がよく聞こえる。骨が折れる音や、筋が切れる音が聞こえる。隣のサブグランドなんかは、選手が観客席に突っ込んでくる!まさに生死をかけた肉弾戦。半身不随になる者も多く、死者まででる。“土になる”“ここで倒れても本望”との覚悟が感じられる。
(プロレスラー、ミル・マスカラスがカッコイイと思っていた私・・・強烈なそのインパクトに、プロレスに全く興味がなくなったのを覚えてます。)
サッカーにしてもラグビーにしても日本なりの歴史があるが、外国出身選手の貢献度は非常に大きい。
チョット前のラモスさんやサントスさん、この前のトゥーリオ選手達に期待し、一喜一憂したものだ。
その選手達が国籍を変えた、変えようと考えた時期の悩みや志しなんかつゆ知らず。
現在、“サムライブルー”“桜のジャージ”も外国人監督が“日本代表”の監督。でも違いがある。
負けない日本を統率する監督に対しては、国籍に関するクレームは今のところ少ない。そこに“日本代表”の定義は関係ないようで、強ければ良いみたい。
もし今回の“なでしこ”・・・
殆んどが帰化した選手達で構成されていたら、どうなってたんでしょう。国民栄誉賞も、微妙だったんでしょうネ。
身体リスクが大きなラグビーフットボール。
母国に比べてすごし易いからと国籍を変えたのでしょうか。
大ケガをしても何の保証もありません。半身付随になったら祖国に戻り、また元の国籍に戻すのでしょうか。
人気競技ならまだしも、人気低迷する日本ラグビーを何故選んだのか。
ニュージーランドなんか特に、ラガーマンはそれだけで英雄です。国の誇りと称され、尊敬されます。でも何故・・・
“土になる覚悟”がそのプレイから伝わります。
彼らは私たちよりも“日本国”を愛してるように見えます。
スポーツの“日本代表”とは比べ物になりませんが、大我も“日本代表”として韓国、シンガポール、中国に行きましたが、いつも必要となったのが“日本人としての覚悟”と“堂々とした態度”でした。それらを経験すればするほど“静かに染み出る愛国心”が育まれていくのだと感じました。
一度、生の彼らのラグビ-プレイを見て下さい。国籍を変えてから日本人になったのではなく、その前から、日本での日本人との生活から、日本人としての“静かに染み出る愛国心”が心を動かした様に見えます。“堂々とした覚悟”がひしひしと伝わってくるのです。
彼らなら、拉致被害者を“日本人”として奪還してくれるかも?!そんな期待までしてしまいます。
同じ土を踏み、空気を吸い、お米を食べ、日本の災害に貢献する・・・(あまり取り上げられませんが)
同じ家族として日本で暮らしているのに・・・
その昔、大我はラグビー選手でした。
私(管理人B)は野球一筋でしたが、ラグビー選手には特に尊敬の念を抱いてました。
ジャズを聞かせながら育てましたが、何かスポーツもさせたい・・・是非、ラグビーに取り組んでもらいたいと、3歳の時に入部。
小さいラガーシャツ(それでもダボダボ)に大きな楕円形ボールを抱えランニング。毎日、ランニングからスタート。
400メートルのトラックを、小学生高学年が引っ張って走るのですが、ついて行くのはやはり無理。
最短距離の内側を走っているかと思いきや、次第にコースを離れ、渦巻きを描くようにどんどんトラックの中心に近付いて行き、挙句の果てに座り込んで砂イジリ・・・
「どうしたんや?!」・・・「だって、ボールで遊びたいのに、走ってばかりや」って。
それから10年・・・サッカー部の大我は、走る事の大切さをやっと実感できたのです。
「よー覚えてへんけど、あの時チャント走っといたら、今はもっと楽やったやろナ~」って。
「中学校にラグビー部があったら、絶対入部させるのにな~」と言うと、「アカン、あれは絶対死んでしまう・・・ドラム(普通の生活)がでけへんようになるリスクが多すぎる・・・今の自分はここの“土”での生活が一番イイ!」と。
相撲界、政界がお粗末なこの日本でも、日本代表を目指してくれたラガーマン達。ありがとう!
万が一(スミマセン)、世界制覇するような事があっても、一般世論とはノーサイドという訳にはいかないと思います。政府も国民栄誉賞授与にはおよび腰になるでしょう。でも、大我家は応援します!
“桜のジャージ”に袖を通せば我らが代表!頑張れ!ラグビー日本代表!!!
“重い扉” - 2011.09.08 Thu
日本、アメリカ・・・その中でも最も重たい扉の一つ・・・『Jazz Club SUB』の扉。
平成に入りお洒落になるジャズクラブ。それとは無縁の昭和な空間『SUB』は小さく、暗く、愛想もない。
そこにあったのは、毎日繰り返されるジャズ愛と訓練。それを一生涯貫き通した男がこの店の主・GG西山満。
月一回のジャムセッション・・・彼一人がホストを務め、平成生まれの卵達、20代半ばから30手前の若者達に激を飛ばす。
肩がぶつかる位の40センチ角の二人掛け用テーブルが8個、カウンター6席・・・全部ガタがきている。
壁には色褪せた往年の巨匠ジャズメンの写真やジャケットが飾られ、アップライトピアノの上にはアート・ブレイキーが愛用したテンガロンハットが威厳深く鎮座する。
スタンダード曲を覚えようとしない者には特に厳しかった。
ジャズの源流、根本、基礎、初心、継続を考えない、行動に移さない者に・・・
時代なのか、幼少からの指導者・教師の嗜好に左右されたか、公共電波から垂れ流される音楽のチョイスを真剣に考えなかった親のせいか・・・客うけに即効性のある選曲、派手な曲、早弾き、早吹きに意識を集中させる若者達。時が進むにつれ、スタンダード曲に含まれる重い意味を伝えるのは益々困難になってきたと嘆いていた。
だからいつも怒ってた。
人前で叱られた事が少ない若者達はショックだ。二回目以降のジャムセッションに来なくなる者多数。1年、2年、続けて来ても、演奏内容から何も感じる事が出来なかったらさらに深く激しく叱る。多くのミュージシャンが撃沈。
撃沈した者達は『SUB』を離れ、優しく扱ってくれる店に偏って行く。
でも毎月、若者たちがやって来る・・・3~4年通う者もいる・・・
それは『SUB』が、西山氏が招聘するニューヨークの大御所達と接近できるからだ。
チャンスだ!と色めき立つ者、自分を売り込もうとする者・・・そんな事は百も承知。大切にしないといけない事を忘れなかったらOKだ。
偉大なるジャズメンが訪れる前もそうだが、GG西山氏は物凄い練習をする。その偉大なジャズメンとの演奏終了後も部屋にこもり練習する。
大志を抱いた少年のように・・・その一部になった事への感謝を込め、感動を体に浸みこませたいからだ。
ライブを見て、自己紹介できた者達はそれで満足・・・でも、次のジャムセッションでバレる。大きく叱られる。
あの時体感したはずのジャズが一音も生かされていないからだ。
何十年と継続しても中々思いが伝わらいジレンマ・・・さらに怒りは爆発する。
『SUB』以外の関西、関東のジャズクラブセッションに参加し続けてた大我ですが、避けては通れない・・・いや、避けるべきではない・・・厳しいと言われる猛者に早いうちに放り込む・・・
その時がやってきました。大我5歳・・・小さな手でその重たい扉を開けに行きました。
実際にその扉自体が重く、「ヨイショ、ヨイショ」と何度も引っ張りながらなので、扉の鈴が大きな音で“カラン、カラン”と鳴る。
演奏中のGGは小さすぎる大我は見えてない様子・・・「静かにしろ!」と言わんばかりにGGは私(管理人B)を凝視・・・店内は満杯で物凄い緊張感に包まれている。
噂通り、70歳を迎えようとしているベーシストは吠えてました。「○○はFuckダ!」と。
政治、戦争、商業主義、音楽学校第一主義、練習しないミュージシャン、他人の褌で相撲をとるミュージシャン、お客様きどりのミュージシャン、チャージバックのシステムで偽物を多く輩出してるジャズクラブ、日本のTVを支配する低レベルの音楽・・・唾を飛ばしながら叫んでました。
その迫力・・・“今日で大我がジャズ嫌いになってしまうかも・・・?”と脳裏を過ぎりました。
ジャムセッション一時休憩。
「あんた楽器はなにやるの?」 「ドラムですが、この子・・・」と、大我を紹介しようとするが間髪いれず、「セッティングして!」と、満杯のミュージシャンでまだ大我に気付いてない様子。当たり前だ。
110センチにも満たない幼稚園児が、“泣く子がさらに泣く”こんなアンダーグラウンドな場所に来るわけがないのだから・・・
「ピアノ、キミ!トランペッター、そこに座りなさい!サックスはそこに並びなさい!」とGGの指示が飛ぶ。
お店にあるボロボロのドラムセットを大我の身長に合わせようと汗だくになる私(管理人B)。
少しイライラしたGGの視線が突き刺さります。
今にも演奏が始まりそうなので、セッティングそこそこに大我を呼ぶ。
「???・・・」のGG。
「アンタじゃなくこの子がドラマー?!」「ワッハッハッ~!」
「ブルースだ!ブルースをやろう!」まだ準備が整っていない大我に関係なく「ワン、ツウー、ワン・ツウ・スリー・フォ!」
“セッションデビューしてから3ヶ月目。今日が大我最後の演奏?・・・ジャズの神様、どうかお願いします!大我が笑顔で帰還できますように!”と心底祈りました。
演奏中のGGの顔・・・今でも忘れられません。
年齢による少し小さくなった眼を大きく見開き、「Wow! Baby! Un believable!」と叫んでる!
楽しくて楽しくてたまらない様子のGG。
演奏後、GGが吠えまくりました。
「リズムが大きい!こんな大きいリズムは日本人で初めてだよ!これなんだよ!この子は解かってるんだよ!」
そして高々と大我を抱き上げ、「日本のジャズの希望が現れたヨ!My Men!!!」って。
「お前達、これだよ!コレ! 体にジャズが入ってるんだよ・・・出てるんだよ・・・わかるだろ?!」
周りの若手ミュージシャンはポカンとしたまま。
GG西山が何を言ってるのか理解できない様子。まして、褒めちぎってるし・・・
Fuck!には、本当に嫌な事の前に付ける“悪Fuck!”と、尊敬心からでる“良Fuck!”があります。
その日は深夜4時までGGの“良Fuck!”が炸裂!興奮度は尋常ではありませんでした。
「後で、ハンクとソニーと○○と○○に大我ちゃんの事をメールするよ!」って。
そして、なによりも印象深かったのがGGの視線・・・大我に贈る暖かな眼差し・・・
「大我ちゃんからみるとワシはホンマのジジイや!でもな、ジジイとは呼ばれたくない!これからワシの事は“GG”と呼んでくれ!なっ!大我ちゃん!」
「シングルストロークの練習が大事や!コール&レスポンスも!GGと一緒にいっぱい練習しようネ!」一晩で100回聞きました。
和やかに、楽しく過ごすことができた・・・帰る頃には少し軽くなってるかなと思ってた“重い扉”・・・さらに重たくなってました。
大我を真のジャズメンに育てる責任・・・覚悟を決める瞬間でした。 GG、ありがとう。
平成に入りお洒落になるジャズクラブ。それとは無縁の昭和な空間『SUB』は小さく、暗く、愛想もない。
そこにあったのは、毎日繰り返されるジャズ愛と訓練。それを一生涯貫き通した男がこの店の主・GG西山満。
月一回のジャムセッション・・・彼一人がホストを務め、平成生まれの卵達、20代半ばから30手前の若者達に激を飛ばす。
肩がぶつかる位の40センチ角の二人掛け用テーブルが8個、カウンター6席・・・全部ガタがきている。
壁には色褪せた往年の巨匠ジャズメンの写真やジャケットが飾られ、アップライトピアノの上にはアート・ブレイキーが愛用したテンガロンハットが威厳深く鎮座する。
スタンダード曲を覚えようとしない者には特に厳しかった。
ジャズの源流、根本、基礎、初心、継続を考えない、行動に移さない者に・・・
時代なのか、幼少からの指導者・教師の嗜好に左右されたか、公共電波から垂れ流される音楽のチョイスを真剣に考えなかった親のせいか・・・客うけに即効性のある選曲、派手な曲、早弾き、早吹きに意識を集中させる若者達。時が進むにつれ、スタンダード曲に含まれる重い意味を伝えるのは益々困難になってきたと嘆いていた。
だからいつも怒ってた。
人前で叱られた事が少ない若者達はショックだ。二回目以降のジャムセッションに来なくなる者多数。1年、2年、続けて来ても、演奏内容から何も感じる事が出来なかったらさらに深く激しく叱る。多くのミュージシャンが撃沈。
撃沈した者達は『SUB』を離れ、優しく扱ってくれる店に偏って行く。
でも毎月、若者たちがやって来る・・・3~4年通う者もいる・・・
それは『SUB』が、西山氏が招聘するニューヨークの大御所達と接近できるからだ。
チャンスだ!と色めき立つ者、自分を売り込もうとする者・・・そんな事は百も承知。大切にしないといけない事を忘れなかったらOKだ。
偉大なるジャズメンが訪れる前もそうだが、GG西山氏は物凄い練習をする。その偉大なジャズメンとの演奏終了後も部屋にこもり練習する。
大志を抱いた少年のように・・・その一部になった事への感謝を込め、感動を体に浸みこませたいからだ。
ライブを見て、自己紹介できた者達はそれで満足・・・でも、次のジャムセッションでバレる。大きく叱られる。
あの時体感したはずのジャズが一音も生かされていないからだ。
何十年と継続しても中々思いが伝わらいジレンマ・・・さらに怒りは爆発する。
『SUB』以外の関西、関東のジャズクラブセッションに参加し続けてた大我ですが、避けては通れない・・・いや、避けるべきではない・・・厳しいと言われる猛者に早いうちに放り込む・・・
その時がやってきました。大我5歳・・・小さな手でその重たい扉を開けに行きました。
実際にその扉自体が重く、「ヨイショ、ヨイショ」と何度も引っ張りながらなので、扉の鈴が大きな音で“カラン、カラン”と鳴る。
演奏中のGGは小さすぎる大我は見えてない様子・・・「静かにしろ!」と言わんばかりにGGは私(管理人B)を凝視・・・店内は満杯で物凄い緊張感に包まれている。
噂通り、70歳を迎えようとしているベーシストは吠えてました。「○○はFuckダ!」と。
政治、戦争、商業主義、音楽学校第一主義、練習しないミュージシャン、他人の褌で相撲をとるミュージシャン、お客様きどりのミュージシャン、チャージバックのシステムで偽物を多く輩出してるジャズクラブ、日本のTVを支配する低レベルの音楽・・・唾を飛ばしながら叫んでました。
その迫力・・・“今日で大我がジャズ嫌いになってしまうかも・・・?”と脳裏を過ぎりました。
ジャムセッション一時休憩。
「あんた楽器はなにやるの?」 「ドラムですが、この子・・・」と、大我を紹介しようとするが間髪いれず、「セッティングして!」と、満杯のミュージシャンでまだ大我に気付いてない様子。当たり前だ。
110センチにも満たない幼稚園児が、“泣く子がさらに泣く”こんなアンダーグラウンドな場所に来るわけがないのだから・・・
「ピアノ、キミ!トランペッター、そこに座りなさい!サックスはそこに並びなさい!」とGGの指示が飛ぶ。
お店にあるボロボロのドラムセットを大我の身長に合わせようと汗だくになる私(管理人B)。
少しイライラしたGGの視線が突き刺さります。
今にも演奏が始まりそうなので、セッティングそこそこに大我を呼ぶ。
「???・・・」のGG。
「アンタじゃなくこの子がドラマー?!」「ワッハッハッ~!」
「ブルースだ!ブルースをやろう!」まだ準備が整っていない大我に関係なく「ワン、ツウー、ワン・ツウ・スリー・フォ!」
“セッションデビューしてから3ヶ月目。今日が大我最後の演奏?・・・ジャズの神様、どうかお願いします!大我が笑顔で帰還できますように!”と心底祈りました。
演奏中のGGの顔・・・今でも忘れられません。
年齢による少し小さくなった眼を大きく見開き、「Wow! Baby! Un believable!」と叫んでる!
楽しくて楽しくてたまらない様子のGG。
演奏後、GGが吠えまくりました。
「リズムが大きい!こんな大きいリズムは日本人で初めてだよ!これなんだよ!この子は解かってるんだよ!」
そして高々と大我を抱き上げ、「日本のジャズの希望が現れたヨ!My Men!!!」って。
「お前達、これだよ!コレ! 体にジャズが入ってるんだよ・・・出てるんだよ・・・わかるだろ?!」
周りの若手ミュージシャンはポカンとしたまま。
GG西山が何を言ってるのか理解できない様子。まして、褒めちぎってるし・・・
Fuck!には、本当に嫌な事の前に付ける“悪Fuck!”と、尊敬心からでる“良Fuck!”があります。
その日は深夜4時までGGの“良Fuck!”が炸裂!興奮度は尋常ではありませんでした。
「後で、ハンクとソニーと○○と○○に大我ちゃんの事をメールするよ!」って。
そして、なによりも印象深かったのがGGの視線・・・大我に贈る暖かな眼差し・・・
「大我ちゃんからみるとワシはホンマのジジイや!でもな、ジジイとは呼ばれたくない!これからワシの事は“GG”と呼んでくれ!なっ!大我ちゃん!」
「シングルストロークの練習が大事や!コール&レスポンスも!GGと一緒にいっぱい練習しようネ!」一晩で100回聞きました。
和やかに、楽しく過ごすことができた・・・帰る頃には少し軽くなってるかなと思ってた“重い扉”・・・さらに重たくなってました。
大我を真のジャズメンに育てる責任・・・覚悟を決める瞬間でした。 GG、ありがとう。
保留になった約束 - 2011.09.07 Wed
「大我ちゃん、演奏できるようになるから・・・GGと、もっといっぱい演奏しようネ!・・・来年の夏まで、いっぱい共演予定を入れてるし・・・」
うまくしゃべれないが、腹の底から大きな声を絞り出し、唯一自由に動く左手を挙げ力強く握手。
その握力は真のベーシストでした。
「俺は一人でトイレも行けるし、自分で食べれるのに、こんなにいっぱいチューブで繋がれてFuckダヨ!」
いつものFuck・・・真のジャズメン・・・希望がもてました。
「大我ちゃんはもっとBigになるんだ・・・演奏も身長も・・・GGはず~と見てきたし、もっと大きくなるまで一緒に演奏しようネ!・・・大我ちゃんも、GGも、ウンジュンベ!」
病床のGGと約束してから一週間・・・天国のジャズ界へ。
“ウンジュンベ”・・・GG曰く、“伝承に選ばれし使者”の事。
大きな遺影からは、誰にも真似できないあの“一音”が聞こえてきました。
「GG、今度また一緒に演奏しようネ・・・GG、ありがとうございました。」と棺にスティックを入れました。
GG西山満、享年78・・・偉大なるジャズメン・・・あの日の約束は保留にしておきます。
うまくしゃべれないが、腹の底から大きな声を絞り出し、唯一自由に動く左手を挙げ力強く握手。
その握力は真のベーシストでした。
「俺は一人でトイレも行けるし、自分で食べれるのに、こんなにいっぱいチューブで繋がれてFuckダヨ!」
いつものFuck・・・真のジャズメン・・・希望がもてました。
「大我ちゃんはもっとBigになるんだ・・・演奏も身長も・・・GGはず~と見てきたし、もっと大きくなるまで一緒に演奏しようネ!・・・大我ちゃんも、GGも、ウンジュンベ!」
病床のGGと約束してから一週間・・・天国のジャズ界へ。
“ウンジュンベ”・・・GG曰く、“伝承に選ばれし使者”の事。
大きな遺影からは、誰にも真似できないあの“一音”が聞こえてきました。
「GG、今度また一緒に演奏しようネ・・・GG、ありがとうございました。」と棺にスティックを入れました。
GG西山満、享年78・・・偉大なるジャズメン・・・あの日の約束は保留にしておきます。