バルセロナ・レポート - 2009.04.16 Thu
大我は、1月に自己バンドTiger, Burning Bright(辻佳孝、出宮寛之)でバルセロナで演奏してきました。

遅ればせながらそのレポートを…
…っと言いたいところですが、ひじょ~~~に残念ながら、筆者バルセロナには同行しておりません
どうしたもんか…と思っているといいものを発見しました。作文!
と言うことで、今回初・大我ご本人によるレポートです。 写真解説とともにお送りします!どうぞ~
「初バルセロナ」 4年2組 鬼束大我
ぼくは、しばらくある所へ行きました。 スペインのバルセロナに行きました。まず、朝早くおきて、空港に行きました。そして、飛行機でオランダのアムステルダムに着きました。それから、バルセロナ空港に着きました。
全部で、一週間行ってそのうち三日間ライブをしました。ぼくのメンバーといっしょに行きました。ライブをしたのは、世界中から洋服の会社が集まるファッション見本市で、アシックス・オニツカタイガーのブースでやりました。屋外でスリーステージやりました。
(見本市会場…の一部。世界一の規模だそうです)
(なぜかゴミまでがアートっぽく見える)
(ライブの様子)
(3ステージ×3日!がんばりました)
(Kids踊る!)
(南米のTV取材受けちゃいました!)
(*大我の演奏に感激した他ブースの出品者の方が、こんなものすごい展示物に乗っけてくださいました!大我大興奮!)
そしてかんこうもしました。世界いさんの所に二か所いってきました。一つは、サグラダファミリアという所に行ってきました。そこは、千八百年ごろから建て始めて、まだ完成していません。かんこう客がふえてきたので、二千二十五年に完成する予定だそうです。
(実際見ると息をのむほど圧倒されるそうです!)
今、一番高い分部(
部分)は、百メートルぐらいあって、今、作りかけのドームは、百七十メートルぐらいになるそうです。ぼくは、八十メートルぐらいまでのぼりました。そこから、バルセロナの町が全部見わたせて、ぜっ景でした。
(こっから見たんだな…)
そして帰りは、こしがぬけそうになるぐらいこわかったです。
(そらこわいわ!こんなん出たら…)
後、もう一つは、グエル公園と言って山がおしろのようになっている、ものすごくでかい公園です。そこのメインは、ドラゴンです。モザイクのレインボー色で、デザインしたふん水形ドラゴンです。
(Kids達までオブジェのよう…)
そして、そのおしろからみたけしきは、ものすごく、きれいでした。

ピカソ美じゅつ館に行きました。そこには一万こ以上の絵があります、その中できがついたことがあります。だいたいの絵に、バイオリンとフルーツボールとワインのボトルが、絵に書かれていました。ぼくは、絵もおもしろいなと思いました。
そして、次はダリ美じゅつ館にも行きました。が・・・暴風のため電車こず。……この日はすごい風で異常気象で二十メートルのなみがおしよせて大さわぎになりました。もう大へんでした。
(嵐で木が倒れてる~!)
とゆうことで食事に行くことにしました。
このバルセロナに来てから、一番おいしかったお店があります。そこは、海のしんせんなさちがあって、ものすごくおいしかったです。

その魚を見るのもかねて、でっかい市場へ行きました。いろんなお店を回りました。
チョコレート屋さん、キャンディー屋さん、チーズ屋さん、オリーブ屋さん、パン屋さん、やお屋さん、肉屋さん、えびとか貝とか魚が生きている、新せんな魚屋さんがありました。






そして、おどろいたのが羊とうさぎと子ぶたが、かわをはがれたそのままのじょうたいで、売っていたことです。目と目があったような気がして、こわかったです。
(やさしく微笑んでる…)
この市場は、バルセロナで一番有名で、とまっていたホテルのすぐ近くにあったので、合計三回行きました。そしてフルーツ屋さんに行ってカットフルーツのもり合わせを買いました。そして「カフェオペラ」という店で食べました。おいしかったです。そして、三回のうちに、夜にも行きました。そしたら、フルーツとかが光っていて、ものすごくきれいでした。その子ぶた屋さんに行って、いべりこぶたの生ハムとサラミを買いました。
(うまかったです)
そして、最終日にサッカーの試合に行くので、バルセロナのユニフォームとマフラーとニットぼうを買って行きました。っとその前にフラメンコを見に行きました。最初にギターの人がソロでえんそうしました。その次に、歌うボーカルの人が二人出て来て、三人でえんそうしました。そしたらギターの人がすごくて、ジャズのようの音で会話していて、すごくおもしろかったです。そして最後にフラメンコダンサーが男女二人出て来ました。タップダンスのようにおどっていました。はじめてのフラメンコダンスに感動しました。
次にサッカーを見に行きました。

ぼくは、生サッカーを見るのがはじめてなんです。そのはじめてでバルセロナチームを見れました。あいては、五位のチームでヌマンシアというけっこう強いチームです。そしてキックオフ。りょうチームともせめて、まもってです。でもあっとうてきに今、一番強いというバルセロナがせめています。そして前半が終わりました。どちらもまだ0対0です。そして後半スタートです。ぼくは、こうふんしてものすごく大きな声でおうえんしてました。そしたらメッシが一点をとりました。次にエトゥもとり、けっきょく四対一でバルセロナが勝ちました。たくさん点をとるシーンが見れてうれしかったです。

ぼくは、アメリカや韓国には行ったことがあるけれど、ヨーロッパははじめて行きました。そこでサグラダやグエル公園に行けてうれしかったです。あとぼくが好きなサッカーを本場で見れてしかもバルセロナのチームのサッカーを見れてよかったです。ものすごくいいけいけんをできてうれしいです。また行きたいです。
(街角に妖精もいる素敵なバルセロナだったね)
(おしまい!)

遅ればせながらそのレポートを…
…っと言いたいところですが、ひじょ~~~に残念ながら、筆者バルセロナには同行しておりません

と言うことで、今回初・大我ご本人によるレポートです。 写真解説とともにお送りします!どうぞ~

「初バルセロナ」 4年2組 鬼束大我
ぼくは、しばらくある所へ行きました。 スペインのバルセロナに行きました。まず、朝早くおきて、空港に行きました。そして、飛行機でオランダのアムステルダムに着きました。それから、バルセロナ空港に着きました。
全部で、一週間行ってそのうち三日間ライブをしました。ぼくのメンバーといっしょに行きました。ライブをしたのは、世界中から洋服の会社が集まるファッション見本市で、アシックス・オニツカタイガーのブースでやりました。屋外でスリーステージやりました。






(*大我の演奏に感激した他ブースの出品者の方が、こんなものすごい展示物に乗っけてくださいました!大我大興奮!)

そしてかんこうもしました。世界いさんの所に二か所いってきました。一つは、サグラダファミリアという所に行ってきました。そこは、千八百年ごろから建て始めて、まだ完成していません。かんこう客がふえてきたので、二千二十五年に完成する予定だそうです。

今、一番高い分部(


そして帰りは、こしがぬけそうになるぐらいこわかったです。

後、もう一つは、グエル公園と言って山がおしろのようになっている、ものすごくでかい公園です。そこのメインは、ドラゴンです。モザイクのレインボー色で、デザインしたふん水形ドラゴンです。

そして、そのおしろからみたけしきは、ものすごく、きれいでした。

ピカソ美じゅつ館に行きました。そこには一万こ以上の絵があります、その中できがついたことがあります。だいたいの絵に、バイオリンとフルーツボールとワインのボトルが、絵に書かれていました。ぼくは、絵もおもしろいなと思いました。
そして、次はダリ美じゅつ館にも行きました。が・・・暴風のため電車こず。……この日はすごい風で異常気象で二十メートルのなみがおしよせて大さわぎになりました。もう大へんでした。

とゆうことで食事に行くことにしました。
このバルセロナに来てから、一番おいしかったお店があります。そこは、海のしんせんなさちがあって、ものすごくおいしかったです。

その魚を見るのもかねて、でっかい市場へ行きました。いろんなお店を回りました。
チョコレート屋さん、キャンディー屋さん、チーズ屋さん、オリーブ屋さん、パン屋さん、やお屋さん、肉屋さん、えびとか貝とか魚が生きている、新せんな魚屋さんがありました。






そして、おどろいたのが羊とうさぎと子ぶたが、かわをはがれたそのままのじょうたいで、売っていたことです。目と目があったような気がして、こわかったです。

この市場は、バルセロナで一番有名で、とまっていたホテルのすぐ近くにあったので、合計三回行きました。そしてフルーツ屋さんに行ってカットフルーツのもり合わせを買いました。そして「カフェオペラ」という店で食べました。おいしかったです。そして、三回のうちに、夜にも行きました。そしたら、フルーツとかが光っていて、ものすごくきれいでした。その子ぶた屋さんに行って、いべりこぶたの生ハムとサラミを買いました。

そして、最終日にサッカーの試合に行くので、バルセロナのユニフォームとマフラーとニットぼうを買って行きました。っとその前にフラメンコを見に行きました。最初にギターの人がソロでえんそうしました。その次に、歌うボーカルの人が二人出て来て、三人でえんそうしました。そしたらギターの人がすごくて、ジャズのようの音で会話していて、すごくおもしろかったです。そして最後にフラメンコダンサーが男女二人出て来ました。タップダンスのようにおどっていました。はじめてのフラメンコダンスに感動しました。
次にサッカーを見に行きました。

ぼくは、生サッカーを見るのがはじめてなんです。そのはじめてでバルセロナチームを見れました。あいては、五位のチームでヌマンシアというけっこう強いチームです。そしてキックオフ。りょうチームともせめて、まもってです。でもあっとうてきに今、一番強いというバルセロナがせめています。そして前半が終わりました。どちらもまだ0対0です。そして後半スタートです。ぼくは、こうふんしてものすごく大きな声でおうえんしてました。そしたらメッシが一点をとりました。次にエトゥもとり、けっきょく四対一でバルセロナが勝ちました。たくさん点をとるシーンが見れてうれしかったです。

ぼくは、アメリカや韓国には行ったことがあるけれど、ヨーロッパははじめて行きました。そこでサグラダやグエル公園に行けてうれしかったです。あとぼくが好きなサッカーを本場で見れてしかもバルセロナのチームのサッカーを見れてよかったです。ものすごくいいけいけんをできてうれしいです。また行きたいです。

(おしまい!)
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GO!阪神タイガース! - 2009.04.14 Tue
いよいよプロ野球が開幕しましたね。
虎キチの子虎大我は、野球放送日は応援に余念がありません。大好きな金本アニキがしびれるほどに絶好調!…なのに、なかなか勝てない阪神… 応援にも思わずチカラが入ります。
学校では野球禁止のためサッカー部に所属し毎日ドロだらけで楽しそうに帰宅する大我ですが、家ではキャッチボールとゴロの捕球訓練で星一徹(大我パパ・・・昔は甲子園を目指してた野球少年)に鍛えられる大我。左右前後に休みなく走らされ、腕、肩、腰、足を強打し、突き指をし、顔面にボールが当たって涙目になっていても訓練は終わりません!
「立て!立つんだ!ジョーーー!」と丹下のオヤッサン!(時々ボクシングに変わります)
この前も、指先を痛め「今日はもう止めたい」「疲れた」と懇願しても星一徹は許しません!
「そんなことではプロの野球選手にはなれないぞ!飛雄馬!タイガースの☆を掴むのじゃ!」と星一徹。
「???」の大我。
訓練が終わり「ドラムの練習と、野球の練習、どっちが疲れる?」と大我に聞くと、すかさず「野球!」と答えてました。笑!
体力作りと色んなジャンルのプロフェッショナル達の苦労を少しでも分かって貰えるよう、この<星一徹劇場>と<あしたのジョー劇場>は日々続くでしょう・・・!
実は大我、昨年シーズン終了後に行われた阪神タイガースのファン感謝デーにメインゲストアーティストとして出演してドラムソロを披露したのです!
神戸ワールド記念ホール
しかも、大我のために高さ1,5メートルのドラム台が舞台中央に組まれ、4m×4mの巨大なタイガースロゴ入りの2枚の扉がドラムソロが始まるとゆっくり左右に開き、真っ白にスモークが焚かれた中から大我が現れるという仕掛け。


1軍2軍、監督、コーチの全選手が舞台袖で大我のパフォーマンスを見届けてから入場するという進行なのでした。
5歳のころ初めてタイガースの試合観戦に行き、それからの大のタイガースファン。(もちろん親の影響です)
甲子園(ベーシストの福呂さん親子にも連れてってもらいました)から名古屋ドームと応援を続け、7歳の頃からタイガースのステージでドラムを叩きたいと願っていたことが実現したのです。3年で実現するなんて、なんとも羨ましい・・・!
実をいうとこれまで機会ある毎に、大我の大好きな金本アニキ、赤星、球児等に個人的に逢えないかどうか色々トライしてきましたが、壁が高く無理でした。
初めて甲子園の土を踏んだのも野球ではなく、アメリカンフットボールの試合でした。(関西のマーチングバンドの指導をしていたトランペットのMITCHブラザーに連れて行ってもらったのです)
しか~~~し!今回は違います!目の前には縦縞のユニホームを着た本物の選手達がウヨウヨ・ゴロゴロいるのでェ~~~すッ!
舞台前方、裏、楽屋前、楽屋通路に沢山のガードマンが配置された厳重警戒態勢ですが、ゲストの大我はフリーパス!関係者パスをぶら下げ、誰かに頼まれたのか沢山の色紙を持ってサインのチャンスを窺っている人も楽屋通路には入れません。
ドキドキしながらたくさんの選手に「一緒に写真撮ってもらえますか?」とお願いし、サインもいっぱいゲットしました。色んな選手が行ったりきたりする舞台裏で、あっ!アニキや~!!!(日本プロ野球界最高年棒をとる金本アニキなんか・・・もう別格待遇で、絶対逢う事が出来ないのですが・・・)とか赤星や~!球児や~!!!!と憧れの選手達を見かけては、もうめまいがしそうになっちゃった大我でした。気難しいと聞いていた選手も快く大我のリクエストに応えてくれました。
タイガースファンの大我パパも「40年以上タイガースファンやのに、大我が羨ましい・・・」と呟いていました。
何十年とタイガースを応援しているファンの皆様、当日の感謝デーにこられていた5000人もの皆様、ゴメンなさい。それと、ツーショット写真をお願いできなかった他の1軍、2軍の選手達と芸人の松村さん、漫才師ますだ・おかだのますださん・・・ゴメンなさい。
普段、コンサートやライブで写真やサインを頼まれる立場の大我ですが、この日は頼む側。憧れの人たちを前に人生最大に緊張したようです。
「写真とか頼むのってめっちゃ緊張する~
いつもライブで、ぼくに『サインしてください』とか『写真とって下さい』とか、お客さんがどんな気持ちで言ってるのか、今初めて本当によく分かったよ…
ありがたいね…」といってました。
では、戦利の激写ショットをごらんあれ!
ピッチャー陣は、まず
下柳投手!
久保田投手
江草投手
福原投手
上園投手!
それと、なんてったってわれらが守護神・球児!
藤川投手!
キャッチャーはもちろん矢野捕手!

内外野は、選手会長のRed Star!
赤星選手
骨折しようがどんなアクシデントに見舞われようがフルイニング出場を続ける球界の至宝、金本アニキ!

そして、
桧山選手
新井選手
今岡選手
鳥谷選手
関本選手
平野選手
リン選手
葛城選手
桜井選手!
そしてマスコットのラッキーちゃん

(ずーと手を繋がれ、嬉し恥かしの大我でした)
さらに一生の宝物。サインボール!

左から金本、赤星、藤川各選手のサインです!(お土産に大我のCDを手渡しました)
大感激の大我でした。
関西のジャズメンには沢山の虎キチがいます。それも本当に熱狂的なファンが。そのジャズメン達にツーショット写真やサインボールを日々得意げに自慢する大我・・・皆に反感をかってます。笑!
ちなみに、各選手に写真をお願いするだけで精一杯だった大我。握手して下さい…とまでは緊張して言えなかったのです。そんな気持ちを知ってか知らずか、ただひとり自ら手を差し出してがっちり握手をして下さった選手がいました。桧山選手です。ますます大ファンになっちゃいました。
もう、誰が誰かわからんほど色んな選手と写真を撮ってもらって、最後のほうは、「もうタテジマがウヨウヨいすぎて酔ってきた・・・」とまで言うくらいでした。
でも中には、「タイガくん?プロドラムの子やね?」とか「徹子の部屋でてたやろ?」とか、大我のことを知って下さっている選手も沢山いて、ちょっと、いや、めっちゃうれしかった大我でした。
ショーの最後には、全選手と同じ舞台に上がって、一緒に六甲おろしを熱唱しました。


インタビューにだってちゃんと答えました。(この感謝デーの模様は、関西のTVでも放映されました)

「次は絶対日本一です!」ってね。
(道頓堀で見つかったカーネルおじさんだってついてるもん!)
余談・・・2月のツアー最中に、ある驚きの連絡が・・・
世界の野球界で最も有名な日本人大リーガー「イチロー」選手と面会できるかも!と。
下関のライヴ終了後に某所まで飛んで面会し、広島入りを予定しましたが、なにせWBCの直前で予定が二転三転し、結局逢う事ができませんでした。
「今度こそ、絶~対、イチローに逢うぞ~!」と願う大我でした。
強く願うと又、夢が叶うかもね!!!
虎キチの子虎大我は、野球放送日は応援に余念がありません。大好きな金本アニキがしびれるほどに絶好調!…なのに、なかなか勝てない阪神… 応援にも思わずチカラが入ります。
学校では野球禁止のためサッカー部に所属し毎日ドロだらけで楽しそうに帰宅する大我ですが、家ではキャッチボールとゴロの捕球訓練で星一徹(大我パパ・・・昔は甲子園を目指してた野球少年)に鍛えられる大我。左右前後に休みなく走らされ、腕、肩、腰、足を強打し、突き指をし、顔面にボールが当たって涙目になっていても訓練は終わりません!
「立て!立つんだ!ジョーーー!」と丹下のオヤッサン!(時々ボクシングに変わります)
この前も、指先を痛め「今日はもう止めたい」「疲れた」と懇願しても星一徹は許しません!
「そんなことではプロの野球選手にはなれないぞ!飛雄馬!タイガースの☆を掴むのじゃ!」と星一徹。
「???」の大我。
訓練が終わり「ドラムの練習と、野球の練習、どっちが疲れる?」と大我に聞くと、すかさず「野球!」と答えてました。笑!
体力作りと色んなジャンルのプロフェッショナル達の苦労を少しでも分かって貰えるよう、この<星一徹劇場>と<あしたのジョー劇場>は日々続くでしょう・・・!
実は大我、昨年シーズン終了後に行われた阪神タイガースのファン感謝デーにメインゲストアーティストとして出演してドラムソロを披露したのです!

しかも、大我のために高さ1,5メートルのドラム台が舞台中央に組まれ、4m×4mの巨大なタイガースロゴ入りの2枚の扉がドラムソロが始まるとゆっくり左右に開き、真っ白にスモークが焚かれた中から大我が現れるという仕掛け。


1軍2軍、監督、コーチの全選手が舞台袖で大我のパフォーマンスを見届けてから入場するという進行なのでした。
5歳のころ初めてタイガースの試合観戦に行き、それからの大のタイガースファン。(もちろん親の影響です)
甲子園(ベーシストの福呂さん親子にも連れてってもらいました)から名古屋ドームと応援を続け、7歳の頃からタイガースのステージでドラムを叩きたいと願っていたことが実現したのです。3年で実現するなんて、なんとも羨ましい・・・!
実をいうとこれまで機会ある毎に、大我の大好きな金本アニキ、赤星、球児等に個人的に逢えないかどうか色々トライしてきましたが、壁が高く無理でした。
初めて甲子園の土を踏んだのも野球ではなく、アメリカンフットボールの試合でした。(関西のマーチングバンドの指導をしていたトランペットのMITCHブラザーに連れて行ってもらったのです)
しか~~~し!今回は違います!目の前には縦縞のユニホームを着た本物の選手達がウヨウヨ・ゴロゴロいるのでェ~~~すッ!
舞台前方、裏、楽屋前、楽屋通路に沢山のガードマンが配置された厳重警戒態勢ですが、ゲストの大我はフリーパス!関係者パスをぶら下げ、誰かに頼まれたのか沢山の色紙を持ってサインのチャンスを窺っている人も楽屋通路には入れません。
ドキドキしながらたくさんの選手に「一緒に写真撮ってもらえますか?」とお願いし、サインもいっぱいゲットしました。色んな選手が行ったりきたりする舞台裏で、あっ!アニキや~!!!(日本プロ野球界最高年棒をとる金本アニキなんか・・・もう別格待遇で、絶対逢う事が出来ないのですが・・・)とか赤星や~!球児や~!!!!と憧れの選手達を見かけては、もうめまいがしそうになっちゃった大我でした。気難しいと聞いていた選手も快く大我のリクエストに応えてくれました。
タイガースファンの大我パパも「40年以上タイガースファンやのに、大我が羨ましい・・・」と呟いていました。
何十年とタイガースを応援しているファンの皆様、当日の感謝デーにこられていた5000人もの皆様、ゴメンなさい。それと、ツーショット写真をお願いできなかった他の1軍、2軍の選手達と芸人の松村さん、漫才師ますだ・おかだのますださん・・・ゴメンなさい。
普段、コンサートやライブで写真やサインを頼まれる立場の大我ですが、この日は頼む側。憧れの人たちを前に人生最大に緊張したようです。
「写真とか頼むのってめっちゃ緊張する~


では、戦利の激写ショットをごらんあれ!
ピッチャー陣は、まず





それと、なんてったってわれらが守護神・球児!

キャッチャーはもちろん矢野捕手!

内外野は、選手会長のRed Star!

骨折しようがどんなアクシデントに見舞われようがフルイニング出場を続ける球界の至宝、金本アニキ!

そして、









そしてマスコットのラッキーちゃん

(ずーと手を繋がれ、嬉し恥かしの大我でした)
さらに一生の宝物。サインボール!

左から金本、赤星、藤川各選手のサインです!(お土産に大我のCDを手渡しました)
大感激の大我でした。
関西のジャズメンには沢山の虎キチがいます。それも本当に熱狂的なファンが。そのジャズメン達にツーショット写真やサインボールを日々得意げに自慢する大我・・・皆に反感をかってます。笑!
ちなみに、各選手に写真をお願いするだけで精一杯だった大我。握手して下さい…とまでは緊張して言えなかったのです。そんな気持ちを知ってか知らずか、ただひとり自ら手を差し出してがっちり握手をして下さった選手がいました。桧山選手です。ますます大ファンになっちゃいました。
もう、誰が誰かわからんほど色んな選手と写真を撮ってもらって、最後のほうは、「もうタテジマがウヨウヨいすぎて酔ってきた・・・」とまで言うくらいでした。
でも中には、「タイガくん?プロドラムの子やね?」とか「徹子の部屋でてたやろ?」とか、大我のことを知って下さっている選手も沢山いて、ちょっと、いや、めっちゃうれしかった大我でした。
ショーの最後には、全選手と同じ舞台に上がって、一緒に六甲おろしを熱唱しました。


インタビューにだってちゃんと答えました。(この感謝デーの模様は、関西のTVでも放映されました)

「次は絶対日本一です!」ってね。
(道頓堀で見つかったカーネルおじさんだってついてるもん!)
余談・・・2月のツアー最中に、ある驚きの連絡が・・・
世界の野球界で最も有名な日本人大リーガー「イチロー」選手と面会できるかも!と。
下関のライヴ終了後に某所まで飛んで面会し、広島入りを予定しましたが、なにせWBCの直前で予定が二転三転し、結局逢う事ができませんでした。
「今度こそ、絶~対、イチローに逢うぞ~!」と願う大我でした。
強く願うと又、夢が叶うかもね!!!
Jazz Successors Tour番外編! - 2009.04.13 Mon

こんな感じで、たくさんいい写真が取れたので、のっけちゃいます。
最終ライブ終了後のTUC楽屋にて、
すっかり寛ぐじいちゃんと孫…


移動中の仲良し兄弟…


ツアーを通して、スタッフとして同行し、セッティングや片付け、移動の手配はもちろん、前説などもやってくださったTiger, Burning Brightの大切なメンバー、じーつーこと辻佳孝さんとデミヤンこと出宮寛之さんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
こんなシーンもありました。

ひょんなことから奇跡の連弾!
じーつーは後で心配そうに「今の…、写真に撮りました?」とこっそり聞いてました。
ちゃんと撮ってるよん!

じーつー、バスターさんと共演も!

デミヤンだって…
最初は、あこがれのトップジャズミュージシャンを間近に、尊敬するお二人に失礼が会ってはいけないと、とても緊張していましたが、最後はこんな感じにまで打ち解けてました。

打ち解けすぎやろ・・・


最後の打上げではこの二人、ひしと抱き合ってました。
(間違えられるよ…

バスターさん、
「はるばる日本まで渡って、10歳児と演奏するとは…。ちょっと不思議な気持ちだったけど、帰ったらみんなに自慢するよ。信じられない素晴らしい経験をしたと。いろんなミュージシャン仲間に大我を紹介したいなあ。アメリカに早く来いよ!」といいながら、大我にサインを頼んでおられました。
「Tigerのサインを持って帰らなきゃ、孫達にしかられるよ。Tigerは孫達のヒーローなんだ」
ベニーさん、
「子供だからではなく、Tigerは一人の人間として立派だと思う。彼から学んだこともたくさんあるよ。このツアーに参加できて本当にラッキーな気持ちでいっぱいだ。スタッフも素晴らしかった。Z2(じーつー)もDemi(デミヤン)もみんな特別な友達だ。ツアーを通して、一人のジャズミュージシャンとしてこれほどまで深い尊敬心を持って接してもらえたのは初めてだ。ありがとう」
と全員にHUGの嵐でした。

また会おうね!と固く約束してお別れをしたのでした。
未来に向って・・・ - 2009.04.11 Sat
Tiger Jazz Successors Japan Tour 2009は、思えばあっという間に終わってしまいました。
大我はまだわずか10歳ですが、渾身の新作CD「A TIME IN NEW YORK」の収録メンバーによるこのツアーには、大我のジャズドラムに取り組む思い入れ、プロミュージシャンとしての覚悟、そしてジャズという芸術に対する深い畏敬の念が込められていました。
2歳の頃から生のジャズに触れ、3歳の時TheTrio(山口武、ロン・カーター、ルイス・ナッシュ)に逢い、4歳の頃楽器店の店頭に展示してあった輝くキッズドラムセットに魅せられた大我。5歳の誕生日にその憧れのドラムセットが家に届き「ちん・ちっき・ちん…」とおぼつかない手元で叩いてみたあの日から、「やるなら中途半端は許さない」との誓いを守り、週2回ミュージックラボ西代一博師匠の元に通い、毎日猛練習をしました。ペダルに足が届かずシンバルから僅かに頭の先が覗くくらいの小さな頃から、時に恥をかき、時に悔しさにこらえきれず、涙がこぼれたこともいっぱいありました。そうやって出来ないと思ったことを克服してきたのです。
幼稚園の年長になった頃からは帰宅後練習し、昼寝を済ませ、ストリートライヴに出かけました。
汗で目が開かず着替えを何枚も要した京都の暑い日、カイロを背中に貼り付け、ホットココアの缶で指先を温めながら叩いた京都の寒い日の6歳から8歳までの3年間・・・本当によく頑張りました。

日野皓正氏と(2005年)

アート・ブレーキーのご長女エブリン氏と(2005年)

NYハーレムでのギグ(2005年)
プロ活動を始めて約5年、まだまだほんの一部ではありますが、ジャズの世界を色んな方向から見て、聴いて、勉強してきた大我です。日本のみならずニューヨークやニューオリンズでジャズとともに生きる人々の生活を体感し、ジャズの歴史についても幼いながらも彼なりに学び、感じ入ってきたところもあるのです。
ありがたいことに大我の音楽性と姿勢は瞬く間にアメリカ全土でジャズの巨匠達の間で噂になり、子供としてではなく、一人のジャズミュージシャンとして接して頂けるようになり、巨匠から巨匠への数珠繋ぎ的ブラザーが沢山できました。雑誌やメディアやジャズイベントの商業企画ではなく、自分の足で自ら飛び込み沢山のブラザーを作り出しました。直接的にしろ、間接的にしろ、生きる彼らから学ぶこと、それは言葉では表現できない価値を含んでいます。
今回、67歳になられるベテランのバスター氏と、レコーディングのみならずツアーで暫くの時を一緒に過ごし一緒に演奏できたのは、大きな糧となりました。長いキャリアの中で積み重ねてこられた芸術性は一朝一夕にして成るものではないと、改めて痛感する完成度の高さに毎回感服しました。彼のベースとともにリズムセクションを創り上げるという経験が、若い大我にどれほど新鮮なインスピレーションを与えたかは計り知れません。また、彼や彼の同朋の想像を絶する苦労話もたくさん聞き、その中で築いてこられた音楽の美しさや道を切り開いてこられた強さに心を打たれました。
45歳白人のベニーさんからは、黒人の音楽ジャズに魅せられた「異文化の人」としての情熱を感じました。言葉には出されませんが、その世界で生きるということには別の意味で辛いことや大変なこともあったでしょうし、救いのない疎外感のような正体の見えないものとの葛藤も多々あったはずです。ベニーさんの天真爛漫さといつも両手を広げて何をも受け入れてくれる寛容なハートは、白人ジャズマンとして生きてきたそんな背景のもとに培われた精神性なのだと感じました。彼の音楽には、そういったハードルを越えてきた人の優しさが溢れています。
生まれたときから自然に聴いて育ち、身に染み付いてきたリズムが違和感なく好きになった大我。彼にとっては、それが黒人の音楽かどうかなんてことは一切関係なく大きくなってきました。しかし、プロとして音楽活動をしていく中で、彼にとっても年齢に関係なくその芸術に対する尊敬心や責任や覚悟を自ら感じるようになって来たのです。
今回、10歳の大我がバスター氏、ベニー氏という2人のジャズジャイアンツと行ったツアーが持つ意味、それはこれから未来に向かってミュージシャンとして成長していく大我の音楽に確実に反映されていくものと信じています。お楽しみに~!
大我はまだわずか10歳ですが、渾身の新作CD「A TIME IN NEW YORK」の収録メンバーによるこのツアーには、大我のジャズドラムに取り組む思い入れ、プロミュージシャンとしての覚悟、そしてジャズという芸術に対する深い畏敬の念が込められていました。
2歳の頃から生のジャズに触れ、3歳の時TheTrio(山口武、ロン・カーター、ルイス・ナッシュ)に逢い、4歳の頃楽器店の店頭に展示してあった輝くキッズドラムセットに魅せられた大我。5歳の誕生日にその憧れのドラムセットが家に届き「ちん・ちっき・ちん…」とおぼつかない手元で叩いてみたあの日から、「やるなら中途半端は許さない」との誓いを守り、週2回ミュージックラボ西代一博師匠の元に通い、毎日猛練習をしました。ペダルに足が届かずシンバルから僅かに頭の先が覗くくらいの小さな頃から、時に恥をかき、時に悔しさにこらえきれず、涙がこぼれたこともいっぱいありました。そうやって出来ないと思ったことを克服してきたのです。
幼稚園の年長になった頃からは帰宅後練習し、昼寝を済ませ、ストリートライヴに出かけました。
汗で目が開かず着替えを何枚も要した京都の暑い日、カイロを背中に貼り付け、ホットココアの缶で指先を温めながら叩いた京都の寒い日の6歳から8歳までの3年間・・・本当によく頑張りました。

日野皓正氏と(2005年)

アート・ブレーキーのご長女エブリン氏と(2005年)

NYハーレムでのギグ(2005年)
プロ活動を始めて約5年、まだまだほんの一部ではありますが、ジャズの世界を色んな方向から見て、聴いて、勉強してきた大我です。日本のみならずニューヨークやニューオリンズでジャズとともに生きる人々の生活を体感し、ジャズの歴史についても幼いながらも彼なりに学び、感じ入ってきたところもあるのです。
ありがたいことに大我の音楽性と姿勢は瞬く間にアメリカ全土でジャズの巨匠達の間で噂になり、子供としてではなく、一人のジャズミュージシャンとして接して頂けるようになり、巨匠から巨匠への数珠繋ぎ的ブラザーが沢山できました。雑誌やメディアやジャズイベントの商業企画ではなく、自分の足で自ら飛び込み沢山のブラザーを作り出しました。直接的にしろ、間接的にしろ、生きる彼らから学ぶこと、それは言葉では表現できない価値を含んでいます。
今回、67歳になられるベテランのバスター氏と、レコーディングのみならずツアーで暫くの時を一緒に過ごし一緒に演奏できたのは、大きな糧となりました。長いキャリアの中で積み重ねてこられた芸術性は一朝一夕にして成るものではないと、改めて痛感する完成度の高さに毎回感服しました。彼のベースとともにリズムセクションを創り上げるという経験が、若い大我にどれほど新鮮なインスピレーションを与えたかは計り知れません。また、彼や彼の同朋の想像を絶する苦労話もたくさん聞き、その中で築いてこられた音楽の美しさや道を切り開いてこられた強さに心を打たれました。
45歳白人のベニーさんからは、黒人の音楽ジャズに魅せられた「異文化の人」としての情熱を感じました。言葉には出されませんが、その世界で生きるということには別の意味で辛いことや大変なこともあったでしょうし、救いのない疎外感のような正体の見えないものとの葛藤も多々あったはずです。ベニーさんの天真爛漫さといつも両手を広げて何をも受け入れてくれる寛容なハートは、白人ジャズマンとして生きてきたそんな背景のもとに培われた精神性なのだと感じました。彼の音楽には、そういったハードルを越えてきた人の優しさが溢れています。
生まれたときから自然に聴いて育ち、身に染み付いてきたリズムが違和感なく好きになった大我。彼にとっては、それが黒人の音楽かどうかなんてことは一切関係なく大きくなってきました。しかし、プロとして音楽活動をしていく中で、彼にとっても年齢に関係なくその芸術に対する尊敬心や責任や覚悟を自ら感じるようになって来たのです。
今回、10歳の大我がバスター氏、ベニー氏という2人のジャズジャイアンツと行ったツアーが持つ意味、それはこれから未来に向かってミュージシャンとして成長していく大我の音楽に確実に反映されていくものと信じています。お楽しみに~!
2月ツアー千秋楽@東京TUC - 2009.04.11 Sat
ジャズの本場アメリカから巨匠ベーシストのバスター・ウイリアムス氏、スターピアニストのベニー・グリーン氏という現代ジャズをリードする二人の世界的ジャズメンを迎えた大我のツアーは、2月21日の東京TUCで最終日を迎えました。全行程12日間8公演でした。
(なんて偉そうに書いて…、レポートがこんなに遅くなってホントにスミマセン)
最後のリハーサル。

ベニーさんのピアノの背後から、セロニアス・モンクが見守ります。
この写真は、ジャズ写真家の中平穂積氏の作品です。中平さんは、大我の演奏にも大変感動して下さり、わざわざコンサート会場へ来て、大我に向けてシャッターを切ってくださったこともあるのです。素敵な写真ですね。
最後のライブでも3人は息ぴったり。スリリングに、そして笑顔いっぱいの楽しいステージ。大我も思いを込めての精一杯のドラミングで、バスターさんもベニーさんも何度も大我の方を見てにっこり。


最終日のTUCへも小さな子供さんから年配のご夫妻まで、それこそ老若男女が沢山聴きに来てくださいました。うれしいことにツアーを通して何度も各地会場へへお運びいただいた「リピーター」の方々も多く、心からこのトリオの音楽を楽しんでいただけたことを実感でき、感無量でした。
ツアーを通してたくさんのジャズミュージシャンの方々も駆けつけてくださいました。TUCでは人気ピアニストの山中千尋さんの姿も…。大阪の会場へはトランペッターのMITCHさんが、京都ではヴォーカリストの市川芳枝さん、横浜ではヴォーカリストの大野えりさんやベーシストの坂井紅介さん、甲府へヴォーカリスト山岡未樹さんなどなど…。嬉しい限りです。
ツアーを終えて、バスターさんもベニーさんも声をそろえて、
「一番驚かされ感じ入ったのは、大我が、ライブを重ねるたび間違いなく毎回成長し続けたこと」と大我の成長に心から感嘆の言葉を述べて下さいました。またそれゆえに「インスピレーションを限りなく刺激された忘れがたいツアーだった」とも言って下さり、この言葉はリーダーとして本当にうれしい最高の賛辞です。
最後のライブ、大きな拍手で幕を閉じました。
ツアーを通しライブに来てくださったすべての皆様に改めて心からお礼申し上げます。
(なんて偉そうに書いて…、レポートがこんなに遅くなってホントにスミマセン)
最後のリハーサル。

ベニーさんのピアノの背後から、セロニアス・モンクが見守ります。
この写真は、ジャズ写真家の中平穂積氏の作品です。中平さんは、大我の演奏にも大変感動して下さり、わざわざコンサート会場へ来て、大我に向けてシャッターを切ってくださったこともあるのです。素敵な写真ですね。
最後のライブでも3人は息ぴったり。スリリングに、そして笑顔いっぱいの楽しいステージ。大我も思いを込めての精一杯のドラミングで、バスターさんもベニーさんも何度も大我の方を見てにっこり。


最終日のTUCへも小さな子供さんから年配のご夫妻まで、それこそ老若男女が沢山聴きに来てくださいました。うれしいことにツアーを通して何度も各地会場へへお運びいただいた「リピーター」の方々も多く、心からこのトリオの音楽を楽しんでいただけたことを実感でき、感無量でした。
ツアーを通してたくさんのジャズミュージシャンの方々も駆けつけてくださいました。TUCでは人気ピアニストの山中千尋さんの姿も…。大阪の会場へはトランペッターのMITCHさんが、京都ではヴォーカリストの市川芳枝さん、横浜ではヴォーカリストの大野えりさんやベーシストの坂井紅介さん、甲府へヴォーカリスト山岡未樹さんなどなど…。嬉しい限りです。
ツアーを終えて、バスターさんもベニーさんも声をそろえて、
「一番驚かされ感じ入ったのは、大我が、ライブを重ねるたび間違いなく毎回成長し続けたこと」と大我の成長に心から感嘆の言葉を述べて下さいました。またそれゆえに「インスピレーションを限りなく刺激された忘れがたいツアーだった」とも言って下さり、この言葉はリーダーとして本当にうれしい最高の賛辞です。
最後のライブ、大きな拍手で幕を閉じました。
ツアーを通しライブに来てくださったすべての皆様に改めて心からお礼申し上げます。
甲府コットンクラブ - 2009.04.07 Tue
今回のツアーでは、関西圏以外では初めて演奏するお店が多かったです。この日の会場は甲府のコットンクラブ。甲府は大我の祖父母が住む長野県諏訪郡のお隣ですが、甲府へ来たのは初めてでした。
コットンクラブは、インテリアが凝っていてどことなくレトロな空気が漂う高い天井のお店。控え室に案内されてびっくり。その扉は厚さ30cm以上は悠にありそうな重厚な鉄製。しかも鉄格子付き…。閉所恐怖症でなくとも「閉めないで~!」っと叫んでしまいそうな扉でした(笑) 聞くところによると、昔、銀行だったのだそうです。控室として使っている空間は、金庫室だったのですね。納得。
ライブ前に山梨の新聞社から取材を受けました。大我、インタビューに答えるのがどんどん上手になってきました。この日もドラム以外の趣味は?と訊かれ、大好きな野球について、そして阪神タイガースの話題で楽しそうに盛り上がっていました
マイルスが見守る…
本ツアー7度目のステージでした。
ツアーを通して聴いていると、同じ曲オーダーでもそれぞれのステージで全く違うドラマが描かれます。同じ曲が決して同じにならないのがジャズ。そのジャズの醍醐味を満喫できました。
ベニー・グリーンさんのピアノはいつも溜息が出る瑞々しい音楽を奏で、バスター・ウイリアムスさんの独創的で美しいベースサウンドに酔いしれました。ツアー中の日々の中でも成長を続ける大我も、立派にリーダーとしての貫録を音の中に示し、素晴らしい集中力で音楽を作り上げていました。
全く知らない場所にもかかわらず、老若男女たくさんお客様が来て下さり、世界的なジャズメンと日本の10歳のジャズドラマーのコラボレーションを心から楽しんでくださいました。「感激しました!」「生で聴けて感無量です!」など、いろいろな温かなコメントをいただきました。
日本全国色んなところにジャズファンはいます。いい音楽を渇望する人たちがいます。ここ甲府においては、コットンクラブがそのような熱心なジャズファンの憩いの場となっているんだなあと感じられました。
コットンクラブは、インテリアが凝っていてどことなくレトロな空気が漂う高い天井のお店。控え室に案内されてびっくり。その扉は厚さ30cm以上は悠にありそうな重厚な鉄製。しかも鉄格子付き…。閉所恐怖症でなくとも「閉めないで~!」っと叫んでしまいそうな扉でした(笑) 聞くところによると、昔、銀行だったのだそうです。控室として使っている空間は、金庫室だったのですね。納得。
ライブ前に山梨の新聞社から取材を受けました。大我、インタビューに答えるのがどんどん上手になってきました。この日もドラム以外の趣味は?と訊かれ、大好きな野球について、そして阪神タイガースの話題で楽しそうに盛り上がっていました


本ツアー7度目のステージでした。
ツアーを通して聴いていると、同じ曲オーダーでもそれぞれのステージで全く違うドラマが描かれます。同じ曲が決して同じにならないのがジャズ。そのジャズの醍醐味を満喫できました。
ベニー・グリーンさんのピアノはいつも溜息が出る瑞々しい音楽を奏で、バスター・ウイリアムスさんの独創的で美しいベースサウンドに酔いしれました。ツアー中の日々の中でも成長を続ける大我も、立派にリーダーとしての貫録を音の中に示し、素晴らしい集中力で音楽を作り上げていました。
全く知らない場所にもかかわらず、老若男女たくさんお客様が来て下さり、世界的なジャズメンと日本の10歳のジャズドラマーのコラボレーションを心から楽しんでくださいました。「感激しました!」「生で聴けて感無量です!」など、いろいろな温かなコメントをいただきました。
日本全国色んなところにジャズファンはいます。いい音楽を渇望する人たちがいます。ここ甲府においては、コットンクラブがそのような熱心なジャズファンの憩いの場となっているんだなあと感じられました。
ツアー後半、横浜KAMOME - 2009.04.05 Sun
古都京都でのんびり過ごし、しっかりと英気を養ったトリオ(バスター・ウイリアムス氏、ベニー・グリーン氏、大我)は、関東方面でのツアー後半に臨みました。
まずは、横浜のKAMOME。
お店の壁に、誰もが思わずふっと微笑んでしまうとても印象的な写真があって、心が和む素敵なお店です。

大我のソロは、日に日にその世界観を広げ、成長していくように思えました。

この日珍しく、バスターさんがアンコール曲を変えようと言い出しました。TOKU-DOというご自身のオリジナル曲を提案されて、ベニーさんも大我もすっかりその曲が気に入って快諾していました。
ステージが進み、熱を帯び、最高潮のままアンコールへ突入。
しかし…
始まったのは聞き覚えのあるイントロ。しかし超高速。このツアーを通して演奏して来たいつものアンコール曲Billy Boyでした。
「誰?誰が間違ったあ…?!」
びっくりしましたが、あとで聞いた話によると、バスターさんがステージの盛り上がりから直感で直前に決めたのだそうです
「アンコールはやっぱりBilly Boyで!しかもいつもよりもっと速く!」と・・・。
もともとかなりの疾走感で演奏する曲ですが、この日は本当に雪崩のような壮絶な速さでした。バスターさんは、大我ならそんなスピードでもビートを刻んで表現を広げることができるとの確信があったようです。しかし、ベテランのベニーさんにしてもご本人のバスターさんにしても超高速となるとやはりかなりの集中力とエネルギーを要します。3人はものすごく緊迫するビートの中、集中力を一体感へと高めて素晴らしい演奏で締めくくりました。とても圧倒的な聴き応えのあるステージで、しばらく拍手が鳴り止みませんでした。
まずは、横浜のKAMOME。
お店の壁に、誰もが思わずふっと微笑んでしまうとても印象的な写真があって、心が和む素敵なお店です。

大我のソロは、日に日にその世界観を広げ、成長していくように思えました。

この日珍しく、バスターさんがアンコール曲を変えようと言い出しました。TOKU-DOというご自身のオリジナル曲を提案されて、ベニーさんも大我もすっかりその曲が気に入って快諾していました。
ステージが進み、熱を帯び、最高潮のままアンコールへ突入。
しかし…
始まったのは聞き覚えのあるイントロ。しかし超高速。このツアーを通して演奏して来たいつものアンコール曲Billy Boyでした。
「誰?誰が間違ったあ…?!」
びっくりしましたが、あとで聞いた話によると、バスターさんがステージの盛り上がりから直感で直前に決めたのだそうです
「アンコールはやっぱりBilly Boyで!しかもいつもよりもっと速く!」と・・・。
もともとかなりの疾走感で演奏する曲ですが、この日は本当に雪崩のような壮絶な速さでした。バスターさんは、大我ならそんなスピードでもビートを刻んで表現を広げることができるとの確信があったようです。しかし、ベテランのベニーさんにしてもご本人のバスターさんにしても超高速となるとやはりかなりの集中力とエネルギーを要します。3人はものすごく緊迫するビートの中、集中力を一体感へと高めて素晴らしい演奏で締めくくりました。とても圧倒的な聴き応えのあるステージで、しばらく拍手が鳴り止みませんでした。
Holiday in Kyoto! - 2009.04.04 Sat
下関で幕を開け、広島、京都、大阪、名古屋と5回のステージを連夜がんばったこのツアー、中三日のOFFがありました。
ベニーさん、バスターさんの宿舎は大我の地元・京都。せっかくなので京都のいいところを見てもらおうと、のんびりとですが、ちょこっとづついろんなところをご案内しました。
GIONのおいしいお料理屋さん「いわい」へ。

大我のストリートライブをたまたま聴いてご主人が感激してくださったことがご縁、海外からのミュージシャン方が来られた時などに、おいしい京料理を味わってもらおうとご案内するお店です。熱血料理人の「いわい」の大将とほっこり笑顔が素敵なおかみさん。お二人の姿をカウンター越しに見ながら舌鼓を打っていたバスターさん、「料理に対する愛と誇りを感じる!素晴らしい店だ」と大絶賛。「音楽も料理も愛がないとね」とベニーさんもにっこり。初来日のリアさんも含め、付け合わせ、飾りの花に至るまで全員完食!
そして、祇園といえば・・・、
そう、Pick Up!
京都RUGのライブへPick Upのママさんもスタッフのチマリちゃんも来てくださっていて、その時のRUGでの打ち上げですっかりバスターさんらと意気投合され、「Pick UpへOFFの日に遊びに行く!」約束ができていたのです。
で、あっという間にこんなことに!

(写真提供:PickUpケイコ
ママ)
(デミやんは、至近距離でバスターさんの手元に釘付け!写真には写ってませんが、もちろんピアノの真ん前にはじーつーが陣取ってます
)
そうこうするうちに、近くでライブだった市川芳枝さんもやってきました。

セッションは続きTiger, Burning Brightで大我、じーつー、デミやんも演奏!
楽しい夜になりました!
この日は、プチ京都観光にお付き合い。
まずお昼は大我が何度もライブをしているスローフードレストラン、上賀茂の「きらきらひかる」へ。「きらきらひかる」のお料理に使われるお野菜はなんと自家製で新鮮そのもの。ベニーさんがベジタリアンだと思っていたのでお昼食べるならココ!と決めていたのです。結局ベニーさんはこのツアーでベジタリアンあっさりやめちゃってましたので、こだわる必要はなかったのですが、どちらにしても新鮮でおいしいお料理を存分に楽しんでいただきました。自家製のデザートも大絶賛でした。
(
4/12、きらきらひかるで市川芳枝さんとのライブがありますよ!)
お腹もいっぱいになったところで、まずは大我にとっては、馴染みの深い上賀茂神社へ。

世界遺産です!
バスターさんが着ているのは、前日に河原町三条の「オニツカタイガー」ショップでGETしたジャージです!バスターえらく気に入って、お孫さん(本物の)へのお土産を全部オニツカタイガーショップで買われました。「Nice!」と何度も叫んでいました。
縁結びのお社の前で
なお二人。

大我もそうっと、離れた所からニコニコ笑って見ていました。
そして、誰もが知っている名所・金閣寺


インスピレーションが入ってくる?
そして、嵐山へ行く道すがら、毎年必ず初詣する芸能神社にも立ち寄りました。

日本一の芸能の神様!鬼に金棒!
そして嵐山へ。

バスターさんと大我は本当におじいちゃんと孫みたい。
大我が手にもってるのはケン玉!
あまり知られていないようですが、嵐山には温泉があるのです。

かくてトリオは3世代3人で温泉に入り、さっぱりゆったりツアー後半への英気を存分に養ったのでした。

Nice Smiles


ベニーさん、バスターさんの宿舎は大我の地元・京都。せっかくなので京都のいいところを見てもらおうと、のんびりとですが、ちょこっとづついろんなところをご案内しました。
GIONのおいしいお料理屋さん「いわい」へ。

大我のストリートライブをたまたま聴いてご主人が感激してくださったことがご縁、海外からのミュージシャン方が来られた時などに、おいしい京料理を味わってもらおうとご案内するお店です。熱血料理人の「いわい」の大将とほっこり笑顔が素敵なおかみさん。お二人の姿をカウンター越しに見ながら舌鼓を打っていたバスターさん、「料理に対する愛と誇りを感じる!素晴らしい店だ」と大絶賛。「音楽も料理も愛がないとね」とベニーさんもにっこり。初来日のリアさんも含め、付け合わせ、飾りの花に至るまで全員完食!
そして、祇園といえば・・・、
そう、Pick Up!
京都RUGのライブへPick Upのママさんもスタッフのチマリちゃんも来てくださっていて、その時のRUGでの打ち上げですっかりバスターさんらと意気投合され、「Pick UpへOFFの日に遊びに行く!」約束ができていたのです。
で、あっという間にこんなことに!

(写真提供:PickUpケイコ

(デミやんは、至近距離でバスターさんの手元に釘付け!写真には写ってませんが、もちろんピアノの真ん前にはじーつーが陣取ってます

そうこうするうちに、近くでライブだった市川芳枝さんもやってきました。

セッションは続きTiger, Burning Brightで大我、じーつー、デミやんも演奏!
楽しい夜になりました!
この日は、プチ京都観光にお付き合い。
まずお昼は大我が何度もライブをしているスローフードレストラン、上賀茂の「きらきらひかる」へ。「きらきらひかる」のお料理に使われるお野菜はなんと自家製で新鮮そのもの。ベニーさんがベジタリアンだと思っていたのでお昼食べるならココ!と決めていたのです。結局ベニーさんはこのツアーでベジタリアンあっさりやめちゃってましたので、こだわる必要はなかったのですが、どちらにしても新鮮でおいしいお料理を存分に楽しんでいただきました。自家製のデザートも大絶賛でした。
(

お腹もいっぱいになったところで、まずは大我にとっては、馴染みの深い上賀茂神社へ。

世界遺産です!
バスターさんが着ているのは、前日に河原町三条の「オニツカタイガー」ショップでGETしたジャージです!バスターえらく気に入って、お孫さん(本物の)へのお土産を全部オニツカタイガーショップで買われました。「Nice!」と何度も叫んでいました。
縁結びのお社の前で



大我もそうっと、離れた所からニコニコ笑って見ていました。
そして、誰もが知っている名所・金閣寺



インスピレーションが入ってくる?
そして、嵐山へ行く道すがら、毎年必ず初詣する芸能神社にも立ち寄りました。

日本一の芸能の神様!鬼に金棒!
そして嵐山へ。

バスターさんと大我は本当におじいちゃんと孫みたい。

あまり知られていないようですが、嵐山には温泉があるのです。

かくてトリオは3世代3人で温泉に入り、さっぱりゆったりツアー後半への英気を存分に養ったのでした。

Nice Smiles


