『東京JAZZ』&『日比谷公会堂』 - 2008.10.30 Thu
大我のアメリカ滞在は非常に内容の濃いもので、じっくりお伝えしたかったのでひじょ~に時間がかかってしまいました。すみません
この調子では、えらいことになってしまいそうなので、帰国後の大我の活動を若干駆け足でお伝えしようと思います。
「8月2日」
まず、8月2日、大我率いるバンドTiger, Burning Bright(大我ds、ミキトシヒコas、辻佳孝p、出宮寛之b)は、お台場のTOYOTAのショーケースMEGA WEBでのライブに出演しました。

これは、日本最大のジャズイベントのひとつ「東京JAZZ」のプレイベントでした。もう一組のゲストは、アフリカはセネガル出身と言う筋金入りのアフリカンパーカッショニストのオマール・ゲンデファルさん。ジャンベと言う打楽器を専門とするオマールさんと大我は、オーディエンスからの希望者とともに楽しいセッションも行いました。

楽しい音楽の会話が弾けました。
大我は、最後のほうにはオマールさんのことを「エビちゃん」と呼んですっかり仲良くなっていました。
オマールさん…、オマール…、オマール海老…、えび?エビちゃん
!!!
と、すっかり関西人のダジャレの餌食になっていたオマールさんでした。
「8月中旬」
恒例の…
海っ
! そして山っ
!
すっかり真黒に!
「8月29日」
大我はジャズのお勉強。日野皓正さん方巨匠の演奏を聴きに、東京フォーラムAを2日間訪ねました。
日野さんは大我にとって世の中で一番怖いひとだけど、一番大好きなジャズマンでもあり、大切なジャズの師匠です。翌々日コンサート予定なので前々乗りして、日野クインテットの東京JAZZでのステージを鑑賞しました。東京JAZZのプレイベントに参加していたので招待を受けていたのです。
日野クインテットのドラマーは、大我とも仲良しの和丸君。若きのドラマーの大舞台。あっぱれな演奏に大我も大拍手!
お馴染みハンク・ジョーンズさん、ロン・カーターさんのステージや、初めて見るデイヴィッド・サンボーンさんのステージも観ることができました。
「8月31日」
Tiger, Burning Bright(大我ds、ミキトシヒコas、辻佳孝p、権上康志b)は、日比谷公会堂での「Summer Jazz Festival」に参加しました。
「日本音楽家協会」主催のこの恒例イベントは、今年でなんと40回を迎えるとのことで、スイングジャズの時代から日本のジャズ界を引っ張ってきた大御所ジャズメン(北村栄治さん、前田憲男さん、今田勝さんetc..)やベテランヴォーカリスト(ペギー葉山さん、マーサ三宅さんetc..)、有名ビッグバンド(シャープス&フラッツ、ブルーコーツ)など豪華な面々がものすごい数で出演されていて、全プログラム6時間以上にわたる大イベントでした。
大我の出演は、その中でも異色な「EAST vs WEST」という現代ジャズの東西対決。大我率いるTiger, Burning Brightが西日本代表、そしてピアニストの椎名豊さん率いるクインテットが東日本代表で、両バンドが一同にステージに上がり、順番に演奏して対決するという趣向でした。椎名さんのクインテットのメンバーは、全員が超有名プレイヤー。サックスは川嶋哲郎さん、トロンボーンに片岡雄三さん、ベースは井上陽介さん、そしてドラマーは大坂昌彦さん。まさに日本の現代ジャズ界を代表するオールスターメンバーなのです。
若き大我たちは、このオールスターズに負けない弾ける演奏で応戦。ステージは大変ヒートアップしました。

先行のTiger, Burning Bright!
東のオールスターズは作戦会議?

最後は東西両バンドが一緒に演奏。

(日本音楽家協会のレポートはこちら)

この調子では、えらいことになってしまいそうなので、帰国後の大我の活動を若干駆け足でお伝えしようと思います。
「8月2日」
まず、8月2日、大我率いるバンドTiger, Burning Bright(大我ds、ミキトシヒコas、辻佳孝p、出宮寛之b)は、お台場のTOYOTAのショーケースMEGA WEBでのライブに出演しました。

これは、日本最大のジャズイベントのひとつ「東京JAZZ」のプレイベントでした。もう一組のゲストは、アフリカはセネガル出身と言う筋金入りのアフリカンパーカッショニストのオマール・ゲンデファルさん。ジャンベと言う打楽器を専門とするオマールさんと大我は、オーディエンスからの希望者とともに楽しいセッションも行いました。

楽しい音楽の会話が弾けました。
大我は、最後のほうにはオマールさんのことを「エビちゃん」と呼んですっかり仲良くなっていました。
オマールさん…、オマール…、オマール海老…、えび?エビちゃん

と、すっかり関西人のダジャレの餌食になっていたオマールさんでした。
「8月中旬」
恒例の…
海っ


すっかり真黒に!
「8月29日」
大我はジャズのお勉強。日野皓正さん方巨匠の演奏を聴きに、東京フォーラムAを2日間訪ねました。
日野さんは大我にとって世の中で一番怖いひとだけど、一番大好きなジャズマンでもあり、大切なジャズの師匠です。翌々日コンサート予定なので前々乗りして、日野クインテットの東京JAZZでのステージを鑑賞しました。東京JAZZのプレイベントに参加していたので招待を受けていたのです。
日野クインテットのドラマーは、大我とも仲良しの和丸君。若きのドラマーの大舞台。あっぱれな演奏に大我も大拍手!
お馴染みハンク・ジョーンズさん、ロン・カーターさんのステージや、初めて見るデイヴィッド・サンボーンさんのステージも観ることができました。
「8月31日」
Tiger, Burning Bright(大我ds、ミキトシヒコas、辻佳孝p、権上康志b)は、日比谷公会堂での「Summer Jazz Festival」に参加しました。
「日本音楽家協会」主催のこの恒例イベントは、今年でなんと40回を迎えるとのことで、スイングジャズの時代から日本のジャズ界を引っ張ってきた大御所ジャズメン(北村栄治さん、前田憲男さん、今田勝さんetc..)やベテランヴォーカリスト(ペギー葉山さん、マーサ三宅さんetc..)、有名ビッグバンド(シャープス&フラッツ、ブルーコーツ)など豪華な面々がものすごい数で出演されていて、全プログラム6時間以上にわたる大イベントでした。
大我の出演は、その中でも異色な「EAST vs WEST」という現代ジャズの東西対決。大我率いるTiger, Burning Brightが西日本代表、そしてピアニストの椎名豊さん率いるクインテットが東日本代表で、両バンドが一同にステージに上がり、順番に演奏して対決するという趣向でした。椎名さんのクインテットのメンバーは、全員が超有名プレイヤー。サックスは川嶋哲郎さん、トロンボーンに片岡雄三さん、ベースは井上陽介さん、そしてドラマーは大坂昌彦さん。まさに日本の現代ジャズ界を代表するオールスターメンバーなのです。
若き大我たちは、このオールスターズに負けない弾ける演奏で応戦。ステージは大変ヒートアップしました。

先行のTiger, Burning Bright!
東のオールスターズは作戦会議?

最後は東西両バンドが一緒に演奏。

(日本音楽家協会のレポートはこちら)
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ニューヨーク最後の晩餐 - 2008.10.22 Wed
(やっとアメリカの旅最終日のブログに辿り着きました)
ニューヨーク滞在最後の夜、大我はとあるお宅へお招きいただき美味しいDINNERをいただきました。ジャズドラマーにとって歴史的なDINNERです!
エルヴィン・ジョーンズ邸。
大我が最も憧れる唯一無二の名ドラマー、エルヴィン・ジョーンズ氏が亡くなるまで30年以上生活していたアパートメントです。
未亡人のケイコ・ジョーンズさんが突然にSMOKEのライブを聴きにきてくださったことはレポートしましたが、その後わざわざお電話を頂き、「日本に帰られる前に、エルヴィンが生活していた場所を是非、大我くんに見にみせてあげれたらと思います」とお招き頂いたのです。
エルヴィン氏の自宅で食事…?そんなことが今回の渡米で起こるなど想像だにしていなかった大我ですが、もちろん興奮気味の瞳をキラキラさせて、絶対行きたいです!と二つ返事でした。

花束を抱えて大我が向ったアパートメント(注:写真の背景の建物ではありません)は、偶然にも大我のアパートからは徒歩圏内。ニューヨークの歴史を感じさせる大きな石造りの建物で、その中、ジョーンズ家は2つのフラットを使っておられました。ひとつはエルヴィン氏の楽器や衣装、資料などの貴重な遺品を保管されているフラット。そんなスペースまでケイコさんはわざわざ大我に見せて下さいました。そこは、エルヴィン氏が使用していたトランクや衣装、楽器のケースなどが、床から天井まで所狭しと積まれていて、凛と穏やかな空気に満ちていました。(エルビンファンの皆様にお見せしたいところですがスミマセン!全ての世界ツアーやコンサートで使用された歴史的遺産が・・・クラクラしそうでした)
そして現在ではケイコさんがお一人でお住まいの住居スペースはアパートメントの7階。ごっつい豪快なイメージのエルヴィン氏の住まいとして想像していた感じとは違い、とてもこじんまりとしていて、むしろかわいらしい感じでした。あちこちにエルヴィン氏の写真や肖像画が掛けられ、ファンからの贈り物だという人形や装飾品が所狭しと並んでいました。エルヴィン氏もケイコさんもファンをとても大切に思っておられたんだということがよく分かりました。

とても小柄なケイコさんですが、ものすごくてきぱきと心のこもった手料理をご用意してくだいました。[今日は、エルビンのおじちゃんの大好物を作ったのよ!お口に合うかしら?」と・・・
なんと!偶然にも大我の大好物、サーモンとお肉!!
行きつけのお店で仕入れてこられた新鮮なサーモンをマリネで、じっくりと煮込まれたトロトロの骨付きビーフ、そしてとっても美味しいお米とキウリの浅漬け。びっくりするくらいたくさん食べた大我でした。

「大我はここにお座りなさい!」とケイコさん。大我が腰掛けているのは、エルヴィン氏が生前いつも座って食事していた席だそうです。ここに座って幸せそうな大我。何を感じ、何を思っていたのでしょうか?
ケイコさんの言葉が印象に残っています。
「この前、大我のライヴを聴きに行ったこと、そして今日、大我がここでエルヴィンの椅子に座って食事をしている事は、ただの偶然ではなく、何か理由があるのだと思います。」
ケイコさんは独特の宗教観を持っておられました。日本人であり仏教徒であるケイコさんとカトリックであったエルヴィン氏。宗教は世界中に多種あれど「神」と言う精神的な存在は一人しかいない。そう考えておられるとのこと。信じるその気持ちは同じだと。その思いを強く感じたのは、見せてくださったエルヴィン氏の寝室。そこには「仏壇」がありました。エルヴィン氏のご位牌の横にはエルヴィン氏のご両親のもの、そして生後まもなく亡くなったというエルヴィン氏の双子のご兄弟のご位牌、4つがとても仲良く並んでいました。
そのお仏壇にお参りしてよいかたずねた大我に、
「エルヴィンのおじちゃんはここにいますから、ゆっくりお話していらっしゃい。だたし、何のお話をしたかは自分の心だけにしまっておいて誰にも話してはだめよ。約束してね」とケイコさん。
「はい」といって一人で仏壇にお参りしに行った大我でしたが、数か月たった今でも、その時エルヴィンおじちゃんと何をお話したのか、それは絶対に話してくれません。
この日、野球界ではヤンキーススタジアム最後のオールスター戦。日付が変わるまでの歴史的な試合が行われていた日。
エルビン邸の食卓では、エルビン氏の可愛いお茶目なエピーソードから、黒人・東洋人が受けたアメリカ生活での出来事、そして熱いジャズ魂の根源。道を造ってきた方々と、道を造ろうとする物。
大我にとって、とても意味深い歴史的な瞬間は日付が変わっても楽しく続きました。
その食卓で「大我、あなたに相談があるの・・・」とケイコさん。
その「相談」は近々皆様にご報告できると思います。
エルヴィン邸滞在約9時間。アメリカ滞在最終日。今回の渡米が集約されたような出来事でした。
ケイコ・ジョーンズさんと

エルヴィン・ジョーンズという不世出のドラマーを支えた女性は、優しく、厳格で、強く、そしてとても繊細な女性でした。
ニューヨーク滞在最後の夜、大我はとあるお宅へお招きいただき美味しいDINNERをいただきました。ジャズドラマーにとって歴史的なDINNERです!
エルヴィン・ジョーンズ邸。
大我が最も憧れる唯一無二の名ドラマー、エルヴィン・ジョーンズ氏が亡くなるまで30年以上生活していたアパートメントです。
未亡人のケイコ・ジョーンズさんが突然にSMOKEのライブを聴きにきてくださったことはレポートしましたが、その後わざわざお電話を頂き、「日本に帰られる前に、エルヴィンが生活していた場所を是非、大我くんに見にみせてあげれたらと思います」とお招き頂いたのです。
エルヴィン氏の自宅で食事…?そんなことが今回の渡米で起こるなど想像だにしていなかった大我ですが、もちろん興奮気味の瞳をキラキラさせて、絶対行きたいです!と二つ返事でした。

花束を抱えて大我が向ったアパートメント(注:写真の背景の建物ではありません)は、偶然にも大我のアパートからは徒歩圏内。ニューヨークの歴史を感じさせる大きな石造りの建物で、その中、ジョーンズ家は2つのフラットを使っておられました。ひとつはエルヴィン氏の楽器や衣装、資料などの貴重な遺品を保管されているフラット。そんなスペースまでケイコさんはわざわざ大我に見せて下さいました。そこは、エルヴィン氏が使用していたトランクや衣装、楽器のケースなどが、床から天井まで所狭しと積まれていて、凛と穏やかな空気に満ちていました。(エルビンファンの皆様にお見せしたいところですがスミマセン!全ての世界ツアーやコンサートで使用された歴史的遺産が・・・クラクラしそうでした)
そして現在ではケイコさんがお一人でお住まいの住居スペースはアパートメントの7階。ごっつい豪快なイメージのエルヴィン氏の住まいとして想像していた感じとは違い、とてもこじんまりとしていて、むしろかわいらしい感じでした。あちこちにエルヴィン氏の写真や肖像画が掛けられ、ファンからの贈り物だという人形や装飾品が所狭しと並んでいました。エルヴィン氏もケイコさんもファンをとても大切に思っておられたんだということがよく分かりました。

とても小柄なケイコさんですが、ものすごくてきぱきと心のこもった手料理をご用意してくだいました。[今日は、エルビンのおじちゃんの大好物を作ったのよ!お口に合うかしら?」と・・・
なんと!偶然にも大我の大好物、サーモンとお肉!!
行きつけのお店で仕入れてこられた新鮮なサーモンをマリネで、じっくりと煮込まれたトロトロの骨付きビーフ、そしてとっても美味しいお米とキウリの浅漬け。びっくりするくらいたくさん食べた大我でした。

「大我はここにお座りなさい!」とケイコさん。大我が腰掛けているのは、エルヴィン氏が生前いつも座って食事していた席だそうです。ここに座って幸せそうな大我。何を感じ、何を思っていたのでしょうか?
ケイコさんの言葉が印象に残っています。
「この前、大我のライヴを聴きに行ったこと、そして今日、大我がここでエルヴィンの椅子に座って食事をしている事は、ただの偶然ではなく、何か理由があるのだと思います。」
ケイコさんは独特の宗教観を持っておられました。日本人であり仏教徒であるケイコさんとカトリックであったエルヴィン氏。宗教は世界中に多種あれど「神」と言う精神的な存在は一人しかいない。そう考えておられるとのこと。信じるその気持ちは同じだと。その思いを強く感じたのは、見せてくださったエルヴィン氏の寝室。そこには「仏壇」がありました。エルヴィン氏のご位牌の横にはエルヴィン氏のご両親のもの、そして生後まもなく亡くなったというエルヴィン氏の双子のご兄弟のご位牌、4つがとても仲良く並んでいました。
そのお仏壇にお参りしてよいかたずねた大我に、
「エルヴィンのおじちゃんはここにいますから、ゆっくりお話していらっしゃい。だたし、何のお話をしたかは自分の心だけにしまっておいて誰にも話してはだめよ。約束してね」とケイコさん。
「はい」といって一人で仏壇にお参りしに行った大我でしたが、数か月たった今でも、その時エルヴィンおじちゃんと何をお話したのか、それは絶対に話してくれません。
この日、野球界ではヤンキーススタジアム最後のオールスター戦。日付が変わるまでの歴史的な試合が行われていた日。
エルビン邸の食卓では、エルビン氏の可愛いお茶目なエピーソードから、黒人・東洋人が受けたアメリカ生活での出来事、そして熱いジャズ魂の根源。道を造ってきた方々と、道を造ろうとする物。
大我にとって、とても意味深い歴史的な瞬間は日付が変わっても楽しく続きました。
その食卓で「大我、あなたに相談があるの・・・」とケイコさん。
その「相談」は近々皆様にご報告できると思います。
エルヴィン邸滞在約9時間。アメリカ滞在最終日。今回の渡米が集約されたような出来事でした。
ケイコ・ジョーンズさんと

エルヴィン・ジョーンズという不世出のドラマーを支えた女性は、優しく、厳格で、強く、そしてとても繊細な女性でした。
ニューオリンズ最終日、事件が…! - 2008.10.20 Mon
ニューオリンズを去る日の朝、大我は地元のある小学校を訪れました。
アメリカの夏休みは長く、普通6月から9月の3ヶ月間もあります。ダラダラ過ごしがちなその間に何か有意義な体験をさせてやりたいと思うのが親心、そして何かにチャレンジしてみたいと意欲を燃やすのが子供心。通常の授業期間では実現できない様々なテーマを盛り込んだサマーキャンプが企画され、多くの子供たちが希望のプログラムを見つけて参加します。ニューオリンズでは、さすが土地柄、ジャズのサマーキャンプがあるのです
う・ら・や・ま・しー
!
そんなジャズキャンプ「ルイ・サッチモ・アームストロング・ミュージック・キャンプ」で講師をまかされているのがトランペッターのマーロン・ジョーダンさん。2日前に共演した大我の演奏にたいそう感激して、「子供たちが大我の演奏を聴いたら、すばらしい可能性を感じるはずだから…」とゲストミュージシャンとして呼んでくださったのです。
大我が外国の小学校に足を踏み入れたのは初めて。夏休み中の校舎にトランペット、サックス、トロンボーン… 思い思いの楽器を抱えたたくさんの少年少女が集まっていました。さすがはニューオリンズ!ジャズが浸透している街ならではの光景でした。
事務局でサインインして教室へ案内された大我。早速マーロンさんと演奏することに。突然現れた小さなアジア人の男の子の存在がなんとも解せない様子の子供たちにマーロンさんが、「彼はギネスにも載っている世界最年少のプロジャスドラマー。素晴らしいミュージシャンだ。君たちも今は始めたばかりでも、一生懸命練習して努力すればこんなに素晴らしいジャスミュージシャンになれるんだ」と大我を紹介。子供たちの眼は半信半疑、興味と期待が半分半分…。
ところが、演奏しようと思った瞬間、事件が!!!!
このサマーキャンプの運営責任者とおぼしきおばちゃんが教室へ乱入!
「ちょっと待ったあ~!」 と静止。撮影も禁止。
しばし、おばちゃんとマーロンさんの押し問答。表情がだんだん険しくなって大我も子供たちも不安顔・・・。 要するに、大我をゲストとして迎えるにあたり、ペーパーワーク(書面)が事前にきちんと上がっていないとのクレームでした。それはそうでしょう。なんせ、2日前のライブでマーロンさんが大我と共演して直感で即決したことですから。しかし、やはり公の機関が行う公のサマーキャンプ。ペーパーワークの必要性がものすごーーーーーーく大切なようでした。お国事情として、預かる子供たちに何か大変な事態があってはならないということはよく理解できますが、まさか大我がちびっ子テロリスト見えたわけでもなかろうに…。
とにかく、おばちゃんとマーロンさんが厳しい口調でやりあっているのを唖然と見ているしかありませんでした。やがて、バトルは教室の場外へ…。しかたなくそのままドラムセットに座ったまま待っているとマーロンさんが戻ってきました。そしていきなりのカウント!
で…
なぜか3拍子の「Maiden Voyage」を吹き始めるマーロンさん。子供達にはちょっと高度な選曲に思えましたが大我はひるまず1拍目からぴったり食らいつきました。(大我の後日談、「カウントは4拍子やったんやで!でも曲はMaiden Voyageの3拍子!ビックリしたわ!」マーロンさん、よっぽど頭に来てたみたいです)
曲の打ち合わせやリハーサルが全く無く、しかも言葉の通じない者同士がいきなり演奏できてしまう光景を目の当たりにした少年少女達。みな口をポカンと開けた状態で、ニューオリンズが世界に誇るスタートランペッターと自分達と年端も変わらぬ異国の少年ドラマーの共演に心を奪われた様子で本当にビックリしていました。
ジャズの都に生まれ育った生粋のニューオリンズっ子たちの前で、ニッポン人の大我がジャズ(即興)を演奏して聴かせる、これぞ究極の「逆輸入」的な奇妙な感じでしたが、見つめる瞳はどれも興奮でキラキラ輝いていました。その輝きはまさにマーロンさんが求めていたものだったに違いありません。
しかししかし…、演奏後、さらにもっと偉いさんらしきおっちゃんもやってきてマーロンさんと再び押し問答バトル。大我たちは子供たちと交流することもなく帰るしかない状況になってしまいました。なんだか不思議な展開でした。
仕方なく学校の入口を出てタクシーを待っていると、驚いたことにそこへマーロンさんも出てきました。マーロンさん、その手にトランペットのケースを持っているではありませんか。そして何やら電話で迎えを呼んでいる様子。
いやな予感・・・・・・・・・・・・
怖いので尋ねていませんが、マーロンさん、おそらく…自分の主張を曲げず、場を蹴って(辞職)出てきたのではないかと思われました。ちなみにその日はサマーキャンプの初日…。
あまりのことに、
「面倒なことになってしまったのでは?すみません。」
と誤ると、
「Oh,No,No!あなた方は謝る必要は何もない。僕にとっても全く何の問題もない。あの人たちは何が大切か分かってないんだから。」とあっけらかんな笑顔。
そしておだやかに付け加えられました。
「音楽はね、分かち合うべきものなんだ。だから音楽を志す子供たちに大我の音を聴かせたかっただけ。それが音楽を志す彼らにとってどれだけの励みになるか。わかるだろ?彼らに聴かせることができてよかったよ」
子供たちにジャズを触れさせようとする者同士なのに立場がちがうとすれ違う・・・
サッチモだったらどうしてた?・・・
サッチモの名の付いたサマーキャンプ。マーロンさんの熱い思いの方が勝っていました。感謝です。
さらにニッコリして
「僕は本当に大我が大好きなんだ」
とても優しい物腰のマーロンさん。そんなマーロンさんの男気に満ちたジャズ魂を垣間見た「事件」でした。

こちらが、かっこいいスター、マーロンさんの演奏姿。
その日の午後、マーロンさんの言葉を何度も心の中で繰り返しながら、ニューオリンズを後にした大我でした。ある意味、忘れられない貴重な思い出のひとつになったことは間違いありません。
その後、マーロンさんとサマーキャンプがどうなったのかは不明です
(一部始終はあまりの緊迫感に写真に収めることができませんでした)
アメリカの夏休みは長く、普通6月から9月の3ヶ月間もあります。ダラダラ過ごしがちなその間に何か有意義な体験をさせてやりたいと思うのが親心、そして何かにチャレンジしてみたいと意欲を燃やすのが子供心。通常の授業期間では実現できない様々なテーマを盛り込んだサマーキャンプが企画され、多くの子供たちが希望のプログラムを見つけて参加します。ニューオリンズでは、さすが土地柄、ジャズのサマーキャンプがあるのです


そんなジャズキャンプ「ルイ・サッチモ・アームストロング・ミュージック・キャンプ」で講師をまかされているのがトランペッターのマーロン・ジョーダンさん。2日前に共演した大我の演奏にたいそう感激して、「子供たちが大我の演奏を聴いたら、すばらしい可能性を感じるはずだから…」とゲストミュージシャンとして呼んでくださったのです。
大我が外国の小学校に足を踏み入れたのは初めて。夏休み中の校舎にトランペット、サックス、トロンボーン… 思い思いの楽器を抱えたたくさんの少年少女が集まっていました。さすがはニューオリンズ!ジャズが浸透している街ならではの光景でした。
事務局でサインインして教室へ案内された大我。早速マーロンさんと演奏することに。突然現れた小さなアジア人の男の子の存在がなんとも解せない様子の子供たちにマーロンさんが、「彼はギネスにも載っている世界最年少のプロジャスドラマー。素晴らしいミュージシャンだ。君たちも今は始めたばかりでも、一生懸命練習して努力すればこんなに素晴らしいジャスミュージシャンになれるんだ」と大我を紹介。子供たちの眼は半信半疑、興味と期待が半分半分…。
ところが、演奏しようと思った瞬間、事件が!!!!
このサマーキャンプの運営責任者とおぼしきおばちゃんが教室へ乱入!
「ちょっと待ったあ~!」 と静止。撮影も禁止。
しばし、おばちゃんとマーロンさんの押し問答。表情がだんだん険しくなって大我も子供たちも不安顔・・・。 要するに、大我をゲストとして迎えるにあたり、ペーパーワーク(書面)が事前にきちんと上がっていないとのクレームでした。それはそうでしょう。なんせ、2日前のライブでマーロンさんが大我と共演して直感で即決したことですから。しかし、やはり公の機関が行う公のサマーキャンプ。ペーパーワークの必要性がものすごーーーーーーく大切なようでした。お国事情として、預かる子供たちに何か大変な事態があってはならないということはよく理解できますが、まさか大我がちびっ子テロリスト見えたわけでもなかろうに…。
とにかく、おばちゃんとマーロンさんが厳しい口調でやりあっているのを唖然と見ているしかありませんでした。やがて、バトルは教室の場外へ…。しかたなくそのままドラムセットに座ったまま待っているとマーロンさんが戻ってきました。そしていきなりのカウント!
で…
なぜか3拍子の「Maiden Voyage」を吹き始めるマーロンさん。子供達にはちょっと高度な選曲に思えましたが大我はひるまず1拍目からぴったり食らいつきました。(大我の後日談、「カウントは4拍子やったんやで!でも曲はMaiden Voyageの3拍子!ビックリしたわ!」マーロンさん、よっぽど頭に来てたみたいです)
曲の打ち合わせやリハーサルが全く無く、しかも言葉の通じない者同士がいきなり演奏できてしまう光景を目の当たりにした少年少女達。みな口をポカンと開けた状態で、ニューオリンズが世界に誇るスタートランペッターと自分達と年端も変わらぬ異国の少年ドラマーの共演に心を奪われた様子で本当にビックリしていました。
ジャズの都に生まれ育った生粋のニューオリンズっ子たちの前で、ニッポン人の大我がジャズ(即興)を演奏して聴かせる、これぞ究極の「逆輸入」的な奇妙な感じでしたが、見つめる瞳はどれも興奮でキラキラ輝いていました。その輝きはまさにマーロンさんが求めていたものだったに違いありません。
しかししかし…、演奏後、さらにもっと偉いさんらしきおっちゃんもやってきてマーロンさんと再び押し問答バトル。大我たちは子供たちと交流することもなく帰るしかない状況になってしまいました。なんだか不思議な展開でした。
仕方なく学校の入口を出てタクシーを待っていると、驚いたことにそこへマーロンさんも出てきました。マーロンさん、その手にトランペットのケースを持っているではありませんか。そして何やら電話で迎えを呼んでいる様子。
いやな予感・・・・・・・・・・・・
怖いので尋ねていませんが、マーロンさん、おそらく…自分の主張を曲げず、場を蹴って(辞職)出てきたのではないかと思われました。ちなみにその日はサマーキャンプの初日…。
あまりのことに、
「面倒なことになってしまったのでは?すみません。」
と誤ると、
「Oh,No,No!あなた方は謝る必要は何もない。僕にとっても全く何の問題もない。あの人たちは何が大切か分かってないんだから。」とあっけらかんな笑顔。
そしておだやかに付け加えられました。
「音楽はね、分かち合うべきものなんだ。だから音楽を志す子供たちに大我の音を聴かせたかっただけ。それが音楽を志す彼らにとってどれだけの励みになるか。わかるだろ?彼らに聴かせることができてよかったよ」
子供たちにジャズを触れさせようとする者同士なのに立場がちがうとすれ違う・・・
サッチモだったらどうしてた?・・・
サッチモの名の付いたサマーキャンプ。マーロンさんの熱い思いの方が勝っていました。感謝です。
さらにニッコリして
「僕は本当に大我が大好きなんだ」
とても優しい物腰のマーロンさん。そんなマーロンさんの男気に満ちたジャズ魂を垣間見た「事件」でした。

こちらが、かっこいいスター、マーロンさんの演奏姿。
その日の午後、マーロンさんの言葉を何度も心の中で繰り返しながら、ニューオリンズを後にした大我でした。ある意味、忘れられない貴重な思い出のひとつになったことは間違いありません。
その後、マーロンさんとサマーキャンプがどうなったのかは不明です

(一部始終はあまりの緊迫感に写真に収めることができませんでした)
ニューオリンズの新カリスマと… - 2008.10.18 Sat
大我は、ジャズが生まれた街ニューオリンズへやってきて、ある意味でジャズの本当の姿を初めて知りました。それを教えてくれたのは、ミュージシャンたちであり、ライブハウスの人々であり、聴衆の方々、そして、ごく普通にニューオリンズの街に生活する人々でした。
中でも、「ジャズの姿」をもっとも印象深く心に刻んだ場所がありました。
それは、Kermit's Saloonというお店です。

大我はDonna'sでの自身のライブの前日の昼間、MITCHさんの案内でフライヤーを持ってこの店に初めて足を踏み入れました。
その瞬間のなんと怖かったこと…。
実は、この店はルイアームストロング公園からさらに北に入って行ったトレメ地区の中にあります。ほとんど地元の黒人しか歩いていない、よそ者は全く寄り付かない地区。観光客が足を踏み入れる地区ではありません。
昼間から薄暗い店内には黒人の常連さんらしき人たちがカウンターでたむろっていましたが、ニッポン人の少年大我がドアを開けた瞬間、空気が凍りつきました。ドアを振り向いた全員が一瞬沈黙して我々を凝視…。「なんだ?こいつら?」というよそ者に対する視線がいくつも突き刺さりました。心臓がバクバクしました。(同行していたNY在住のカメラマンが一番ビビッてました)
…が、ここで大我を置いて気を失うわけにも行かず、BGMのジャズの音量に負けない大声で「Kermitはいますかあ?」とひと思いに叫びました。
ここは、ルイ・アームストロングの再来といわれるトランペッターでボーカリストのカーミット・ラフィンズさんのお店。世界的に認められたニューオリンズジャスの第一人者であり、地元ニューオリンズでは大変な有名人ですが、特に、出身地であるここトレメ地区の人々にとっては誇りであり希望の星、ヒーローなのです。
だから、「Kermit」というそのキーワードで緊迫の空気が溶け、みんなが、「なんだあ。Kermitの知り合いなのか…、じゃあ仲間だ」という顔をして一瞬にしてWelcome!の空気に変わったです。そしてコーラスするかのように全員が「Kermit will be right back!(カーミットはすぐ戻ってくるよ)」と同時に教えてくれました。そして一人が「もしやTigerか?」と大我に気付きました。ラジオを聴いていた人がここにもいたのです。そうなるともう大我は引っ張りだこの質問攻め。
そうこうしているうち、カーミットさんが帰ってきました。また「Tiger's here to see you!(大我が来てるよ)」の一斉コーラス。
カーミットさんは、あの優しい笑顔で大歓迎して下さいましたが、とても忙しそう。大我にあるものを見せてくれました。それは、大我が2人分ほど余裕でおさまりそうな超大型のクラーボックスに入れられた大量のターキーネック(七面鳥の首)の煮込み!

白い帽子がカーミットさん。
このボックスいっぱいに首煮込みが…
「私が作ったんだよ。今夜のライブに来てくれる人に振舞うんだ。みんながハッピーになれるようにね。」とウインクするカーミットさん。そう、お料理を無料でふるまわれるのです。
MITCHさんが後で言ってました。「カーミットは、ほんまええ男なんや。自分の成功を地元の貧しい人に惜しみなく還元するんや。まあ、ニューオリンズの人は、みんなできることならそんなことができる人間になりたいと思ってる。でも、とうていできないのが現状。だから、それをやってのけるカーミットをとてつもなくかっこいい人間としてみんなが尊敬し憧れてるんや」と。
彼の音楽の素晴らしさは、彼の人間としての素晴らしさからでてくるものなのだと気付きました。
その夜、カーミットさんに約束した通り、もう一度Kermit's Saloonへライブを聴きに行きました。夜までには大我がやってくる事がみんなに知れ渡っていて、店からもあふれんばかりの大勢の地元客の皆さんにフレンドリーな大歓迎を受けました。
大我も何曲か一緒に演奏しました。ピアノは偶然にもDonna'sライブで共演したDavid Torkanowskyさんで、「こんなに早くまた一緒にやれるなんて最高だな!」と喜んで下さいました。

大我の演奏中に、テーブルの向いに座っていたおじいさんが声をかけてきました。「カーミットの父親です。」と…。隣には上品で美しいお母様も!お二人ともステージをまとめあげる息子の姿をとても誇らしげに見つめておられました。
お店は奥まで超満員!誰もがハッピーな笑顔。全員がまるで一つの大家族のような空気でした。
おばちゃんたちも踊りまくり!

ジャズは、ニューオリンズの歴史の中、昔から現在に至るまで、人々の生活に必要不可欠なエネルギーの源となってきたなのだとつくづく感じました。スウィングしなけりゃ生きてけない!のでしょう。
Kermit Ruffinsさん。
彼の魅力は、素晴らしいミュージシャンであり名士でありながら、誰に対しても同じ態度で接すること。ミュージシャンもそうでない人も、老若男女、黒人も白人も、何人でも、貧しい人も豊かな人も、たとえホームレスであっても…。
彼が体現する音楽に代表されるニューオリンズのジャズには、そんな包容力がいっぱい詰まっていることを教えられました。気軽に聴きに行けるフレンチクオーター内のライブハウスも楽しいけれど、そこでは踏み込む事の出来ない強い「ジャズの姿」、深い「ジャズの意味」を体感した夜でした。
中でも、「ジャズの姿」をもっとも印象深く心に刻んだ場所がありました。
それは、Kermit's Saloonというお店です。

大我はDonna'sでの自身のライブの前日の昼間、MITCHさんの案内でフライヤーを持ってこの店に初めて足を踏み入れました。
その瞬間のなんと怖かったこと…。
実は、この店はルイアームストロング公園からさらに北に入って行ったトレメ地区の中にあります。ほとんど地元の黒人しか歩いていない、よそ者は全く寄り付かない地区。観光客が足を踏み入れる地区ではありません。
昼間から薄暗い店内には黒人の常連さんらしき人たちがカウンターでたむろっていましたが、ニッポン人の少年大我がドアを開けた瞬間、空気が凍りつきました。ドアを振り向いた全員が一瞬沈黙して我々を凝視…。「なんだ?こいつら?」というよそ者に対する視線がいくつも突き刺さりました。心臓がバクバクしました。(同行していたNY在住のカメラマンが一番ビビッてました)
…が、ここで大我を置いて気を失うわけにも行かず、BGMのジャズの音量に負けない大声で「Kermitはいますかあ?」とひと思いに叫びました。
ここは、ルイ・アームストロングの再来といわれるトランペッターでボーカリストのカーミット・ラフィンズさんのお店。世界的に認められたニューオリンズジャスの第一人者であり、地元ニューオリンズでは大変な有名人ですが、特に、出身地であるここトレメ地区の人々にとっては誇りであり希望の星、ヒーローなのです。
だから、「Kermit」というそのキーワードで緊迫の空気が溶け、みんなが、「なんだあ。Kermitの知り合いなのか…、じゃあ仲間だ」という顔をして一瞬にしてWelcome!の空気に変わったです。そしてコーラスするかのように全員が「Kermit will be right back!(カーミットはすぐ戻ってくるよ)」と同時に教えてくれました。そして一人が「もしやTigerか?」と大我に気付きました。ラジオを聴いていた人がここにもいたのです。そうなるともう大我は引っ張りだこの質問攻め。
そうこうしているうち、カーミットさんが帰ってきました。また「Tiger's here to see you!(大我が来てるよ)」の一斉コーラス。
カーミットさんは、あの優しい笑顔で大歓迎して下さいましたが、とても忙しそう。大我にあるものを見せてくれました。それは、大我が2人分ほど余裕でおさまりそうな超大型のクラーボックスに入れられた大量のターキーネック(七面鳥の首)の煮込み!

白い帽子がカーミットさん。
このボックスいっぱいに首煮込みが…
「私が作ったんだよ。今夜のライブに来てくれる人に振舞うんだ。みんながハッピーになれるようにね。」とウインクするカーミットさん。そう、お料理を無料でふるまわれるのです。
MITCHさんが後で言ってました。「カーミットは、ほんまええ男なんや。自分の成功を地元の貧しい人に惜しみなく還元するんや。まあ、ニューオリンズの人は、みんなできることならそんなことができる人間になりたいと思ってる。でも、とうていできないのが現状。だから、それをやってのけるカーミットをとてつもなくかっこいい人間としてみんなが尊敬し憧れてるんや」と。
彼の音楽の素晴らしさは、彼の人間としての素晴らしさからでてくるものなのだと気付きました。
その夜、カーミットさんに約束した通り、もう一度Kermit's Saloonへライブを聴きに行きました。夜までには大我がやってくる事がみんなに知れ渡っていて、店からもあふれんばかりの大勢の地元客の皆さんにフレンドリーな大歓迎を受けました。
大我も何曲か一緒に演奏しました。ピアノは偶然にもDonna'sライブで共演したDavid Torkanowskyさんで、「こんなに早くまた一緒にやれるなんて最高だな!」と喜んで下さいました。

大我の演奏中に、テーブルの向いに座っていたおじいさんが声をかけてきました。「カーミットの父親です。」と…。隣には上品で美しいお母様も!お二人ともステージをまとめあげる息子の姿をとても誇らしげに見つめておられました。
お店は奥まで超満員!誰もがハッピーな笑顔。全員がまるで一つの大家族のような空気でした。
おばちゃんたちも踊りまくり!

ジャズは、ニューオリンズの歴史の中、昔から現在に至るまで、人々の生活に必要不可欠なエネルギーの源となってきたなのだとつくづく感じました。スウィングしなけりゃ生きてけない!のでしょう。
Kermit Ruffinsさん。
彼の魅力は、素晴らしいミュージシャンであり名士でありながら、誰に対しても同じ態度で接すること。ミュージシャンもそうでない人も、老若男女、黒人も白人も、何人でも、貧しい人も豊かな人も、たとえホームレスであっても…。
彼が体現する音楽に代表されるニューオリンズのジャズには、そんな包容力がいっぱい詰まっていることを教えられました。気軽に聴きに行けるフレンチクオーター内のライブハウスも楽しいけれど、そこでは踏み込む事の出来ない強い「ジャズの姿」、深い「ジャズの意味」を体感した夜でした。
大我のニューオリンズ初ライブ - 2008.10.16 Thu

見えますでしょうか?
大我の後ろのゲートの文字。そう「ARMSTRONG」。
ここが、ニューオリンズが世界に誇るジャズの神様ルイ・アームストロングの名前を冠した公園の入口ゲートなのです。ジャズの歴史の中で大変重要な役割を果たした広場「コンゴ・スクエア」があるのはこの中だそうです。
その昔、まだニューオリンズがフランスやスペインに支配されていた頃の話。当時の黒人奴隷たちは、日曜日の午後だけ日々の過酷な労働から逃れてコンゴスクエアで自由に音楽を楽しむことを許されていたそうなのです。そう、ピンポイントでジャズの生誕地なのです。
残念ながら、カトリーナ以降現在は公園が閉鎖されていて、中にポツンとたたずむルイの銅像もちょっとさみしそう…
白人観光客が大挙して訪れるフレンチ・クオーターのバーボンストリートなどの復興は進んでいますが、トレメ地区の復興はまだまだ。黒人の文化的財産の復興は後回しって言う印象が強いです。
このゲートが面するランパート通り以北がトレメ地区。ニューオリンズジャズ(特にブラスバンド)のメッカであります。
そして、このゲートの前からまっすぐランパート通りを南側へ渡ると・・・そこにあるのが、

Donna’s Bar & Grill。
大我がニューオリンズで初ライブを行う記念すべきハコなのです。
通りのこちら側はもうフレンチ・クオーター。つまりDonna'sはフレンチクオーターの一番はじっこにあるのです。(トレメ地区のすぐ隣なので、昼間でも街中を歩く人はほとんどいません)
さて、このはじっこのライブハウスのオーナーは、ニューオリンズジャズ界でとっても有名なオヤジ、チャーリーさん!カトリーナ襲来後、体調を崩され、又お客さんが激減したため店を残したままフロリダへ療養を兼ね移住。しかし日本から来る少年ドラマー大我のライヴ企画にわざわざこの日のためだけにニューオリンズに帰って来て下さったのです。ホント、感激です!
演奏を聴きに一体どのくらいのお客さんが来てくれるのか…、長く休業しているこの店をみんな覚えていてくれてるのか・・・、大我とチャーリーオヤジの心臓は「どきどき」と「わくわく」が交錯していたに違いありません。
究極のアウェイ状態で、お客さんの入り、反響が気になりましが、アレンジをお手伝いくださったMIKIさんやオカダ夫妻、Donna'sのオーナーのご尽力、そしてラジオ出演のおかげ様と、加えては前日の飛び入り演奏効果(たくさんの方から、「聴きに行くよ!」と言ってもらいました)で、開演前から会場は満員で物凄い熱気となりました。
耳の肥えたニューオリンズっ子、本物のジャズを求める「通」な人々、興味深々の地元民…、演奏する側から見ると非常に濃いオーディエンスです。
特にこの日はオカダさんが早くから買出しや調理の準備で大忙し。心のこもったとっても美味しいソウルフードを沢山作ってくれました!ホントーに美味しかったです!リアル・ソウルフード・クッカーです!ありがとうございました!
大我のLive@Donna’sのクレジットは、
Tiger Onitsuka (Drums)
Marlon Jordan (Trumpet)
David Torkanowsky (Piano)
George French (Bass)
メンバーは皆さん、筋金入りのニューオリンズジャズミュージシャンです。
前日に図らずもセッションしたマーロンさんは、ジャズ界の名門マルサリス一族と双璧ともいうべき、これまた名門のジョーダン一族の花形スター奏者。文字通り華のある演奏で魅了します。(彼についてはものすごい後日談があります)

こんな大物なのに…、シャツの色が変わるほど…、汗びっしょりの大熱演をして下さいました。しかも、「楽しかったー!I Love Tiger!」とほんとに喜んでくださいました。
ベースのフレンチさんは、一見ごくふつーのおっちゃん。でもニューオリンズジャズファンであればだれでも知っている超有名人。ごきげんなライヴでは唄を唄ってくれるのですが・・・。唄ってくれました!ホントに渋いボーカル!

右がフレンチさん(やっぱり汗だく)、左はライブを聴いて超ハイになっているお客さん。「わしも入れてくれー!」と乱入!
そして、ピアノのデイヴィッドさんは、まさに大我好みの「壊れるまで弾きちぎる系ピアニスト」、そのニューオリンズ版でした。とーぜんのことながら言葉でのコミュニケーションがとれない大我でしたが、あっという間に特にこのデイヴィッドさんとアイコンタクトで絶妙の対話をしていました。ジャズに言葉はいらない!ハートとハートのぶつかり合い!そんなメッセージが伝わってくる楽しいステージになりました。ボロボロのピアノにボロボロのドラムセット。そんなの全く関係なし!全員汗だくではじけていました!

オレとオマエは、心が通じ合ってるぜ!とすっかり音楽的に意気投合!
老若男女織り交ぜたお客さまもノリノリで、絶妙の合いの手が絶妙のタイミング。流石は音楽の街だと思いました。(特に黒人女性のお客さんのノリの良いこと!見ていてほんとーに気持ち良かったです)

かっこいいマーロンさん!

唄うジョージ・フレンチさん。お客さんも大喜び!
ライブ終了後は、メンバーもお客さんもお店の人もみんな興奮気味でした。
おばちゃんたちは、「God Bless You!」と何度も投げキッスをしてから去って行きました。
あるお客さんは、「本当によかった。ありがとう何度も涙が出そうになって、我慢するのに苦労したよ。」とかみしめるように言ってくれました。
オーナーのチャーリーさんと。

みんなに 「覚えておけよ。Tigerが初めてニューオリンズでやったライブは、わしの店なんだぞー!」って自慢して喜んでくれました。
ジャズが生まれた異国の地で、思いっきり自分のジャズを表現し、メンバーはもちろん、お客さんとも一体になるステージをやってのけた大我。この経験は、ジャズドラマー大我にとって何にも代えられない大きな財産になることだと思います。
日本からやってきた一人の少年のジャズ魂を熱い心意気で受け入れてくれたニューオリンズ。その懐の温かさ深さに感慨もひとしおの夜でした。
ライブ後、開け放されたDonna'sの扉からふと外を見るとあのゲートが見えました。

「ジャズの神様」が、大我を見守っていてくださったんだなあ…と思えた瞬間でした。
Street Car Named Desire - 2008.10.10 Fri
ニューオリンズの町には、アメリカ最古の路面電車が今も現役で走っています。
それがモチーフとなったのが…
テネシー・ウィリアムズの名作「欲望という名の電車」です。
せっかくなので乗ってみました。

とてもクラシックで美しくむしろ可愛らしい車両です。
車窓から見える町並みは、住宅街に入ると非常に美しく荘厳な南部特有の住居建築が並び、まさに「風と共に去りぬ」の世界…

素晴らしい被写体にカメラマン大我もがぜんハリキリました。
中はこんな感じです。

乗り合わせた地元のキッズたちともちょっと仲良しになりました。
そして、ニューオリンズジャズ界のドン、エリス・マルサリス氏のピアノトリオを覗きに「Snug Harbor」というライブハウスへも行ってみました。

ニューオリンズサウンドとスタンダードがまったりと程よくブレンドされたいぶし銀の演奏でした。
名実ともに世界のトップを走るトランペッター、ウイントン・マルサリス、品格に満ちたトロンボーン奏者デルフィーヨ・マルサリス、若くして信頼を集める実力派ドラマー、ジェイソン・マルサリス…。さすがはこの才能ある兄弟を育てたジャズ界の名門マルサリス家の偉大なる「父」だと思いました。
ほとんどの演奏曲が大我もよーく知っていた曲だったので、ジュース飲みながらも手足でリズムを打ち鳴らしノリノリでした。それがまた熟年系の聴衆の中で明らかに”浮いて”いたようで、ここでも、店の人やお客さんから「君、ラジオに出てたリトルドラマーだろ?」と何人もから声をかけられました。
デルフィーヨさんからお話をされていたし、お店の人もラジオを聴いて知っていたので、演奏前もまた演奏後もエリスさんの休憩テーブルに招いていただきお話しすることができました。

マルサリス家の家長、エリス・ザ・ピアニスト!
ジャズはずっと勉強だよ。しっかりとジャズをやっていくように…
と、穏やかに優しくシンプルに、しかし重く大切な言葉をいただきました。
それがモチーフとなったのが…
テネシー・ウィリアムズの名作「欲望という名の電車」です。
せっかくなので乗ってみました。

とてもクラシックで美しくむしろ可愛らしい車両です。
車窓から見える町並みは、住宅街に入ると非常に美しく荘厳な南部特有の住居建築が並び、まさに「風と共に去りぬ」の世界…

素晴らしい被写体にカメラマン大我もがぜんハリキリました。
中はこんな感じです。

乗り合わせた地元のキッズたちともちょっと仲良しになりました。
そして、ニューオリンズジャズ界のドン、エリス・マルサリス氏のピアノトリオを覗きに「Snug Harbor」というライブハウスへも行ってみました。

ニューオリンズサウンドとスタンダードがまったりと程よくブレンドされたいぶし銀の演奏でした。
名実ともに世界のトップを走るトランペッター、ウイントン・マルサリス、品格に満ちたトロンボーン奏者デルフィーヨ・マルサリス、若くして信頼を集める実力派ドラマー、ジェイソン・マルサリス…。さすがはこの才能ある兄弟を育てたジャズ界の名門マルサリス家の偉大なる「父」だと思いました。
ほとんどの演奏曲が大我もよーく知っていた曲だったので、ジュース飲みながらも手足でリズムを打ち鳴らしノリノリでした。それがまた熟年系の聴衆の中で明らかに”浮いて”いたようで、ここでも、店の人やお客さんから「君、ラジオに出てたリトルドラマーだろ?」と何人もから声をかけられました。
デルフィーヨさんからお話をされていたし、お店の人もラジオを聴いて知っていたので、演奏前もまた演奏後もエリスさんの休憩テーブルに招いていただきお話しすることができました。

マルサリス家の家長、エリス・ザ・ピアニスト!
ジャズはずっと勉強だよ。しっかりとジャズをやっていくように…
と、穏やかに優しくシンプルに、しかし重く大切な言葉をいただきました。
初・セカンドライン! - 2008.10.07 Tue
見よ!このりりしき勇姿!

プロジャズドラマー大我は、初めて念願のセカンドラインのスネアドラムに出会いました。
セカンドライン (second line)とは、ニューオーリンズの葬儀などで伝統的に行われるパレードの音楽です。ファーストラインと呼ばれる遺族の列が大切な人の死を悼み荘厳な音楽で墓地へと向かうのに対し、墓地からの帰りは、セカンドラインのブラスバンドが奏でるひたすら明るく賑やかな音楽のリズムで歌い踊りながら天国へ昇りゆく魂を送るのだそうです。そして、ニューオリンズ人々の生と死の営みから生まれたこの伝統的な独特のリズムは、ジャズ、R&B、ファンクなど音楽の重要な要素となっているのです。
セカンドラインのパレードは現在では葬儀以外にイベントなどでも行われているそうですが、南部都市ニューオリンズの夏は過酷なほど暑いので、7月に入るとあまり行われない(行えない)そうです。それでも、MITCHさんが所属していたブラスバンドの皆さんがMITCHさんの声掛けで「よっしゃ!いっちょやろか!」と暑いのに集まってきてくださったのです。楽しい事なら喜んで!って感じでした。
しかも、スネアドラマーさんがなんと大我用のスネアまで用意してきてくれたのです。

初めて着装するマーチング用のスネアにわくわくの大我。でも小さな大我には重くって、バランスをとりながらビートをたたき出すのはとても大変でした。コツと要領を教えてもらってしばし練習すると、すぐにうまく叩けるようになり、ブラスバンドが紡ぐ軽快なセカンドラインに加わってビートを一緒に刻みました。
集まってくれたミュージシャン達、物凄い迫力の演奏で、鳥肌モンです!本物です!!!


うまいもんだ!
ニューオリンズで生まれ育ったジャズっ子よりもうまいよ!と最高のほめ言葉をもらい物凄く嬉しかった大我です。

もちろん、MITCHさんも加わって、演奏はヒートアップ。さすがは日本が誇るニューオリンズジャズトランペッター!生き生きと水を得た魚のような瑞々しい演奏でした。
と~ても危ない地区でしたが、音楽にあわせ踊りながら歩く買い物帰りのオジサンや、音につられて玄関先で踊りだす親子、物凄~くイカツイ顔をした大男が大我を見てニッコリ笑い唄い出すなど、このセカンドラインの威力は凄いものです。

トロンボーンのお兄ちゃんが、大我のビートをとっても気に入ってくれ、演奏が終わってからも大我とデュオの演奏がしばらく続きました。
そんな爆音の演奏のなか、すやすや眠り続ける”カネヤン”ことカーネル君、MIKIさんのご長男です。この巨大なベイビーはなんとこれでも生後2か月…お腹が減った時、ほんの少しだけグズるカネヤン。とってもおりこーさんです!

この前大我は、東京の同じホテルで泊っていたボブ・サップに会ったことがあります。
「絶対カネヤンは、ニューオリンズのボブ・サップになるな~!今は”小ぶ・サップ”やけど・・・」
ニューオリンズならではの楽しく貴重な体験の後、ニューオリンズジャズの余韻に浸りながら、MITCHさんの案内でミシシッピ川を望む公園へ。
芝生にごろーーん!

ブラザーMITCHが対岸を眺め「大我、あっちに見える建物あるやろ?昔な、あそこに沢山の奴隷がミシシッピ川を通って無理やり連れてこられたんやで。ほんでな、その中で生き残った元気な人たちが又、船に詰め込まれてアメリカのあちこちに売られていったんや。」
「ニューオリンズで買われた奴隷たちが初めて許された自由が音楽やってん。大我が明日ライヴするお店の前にあるコンゴスクエアで日曜日のお昼だけ音楽をすることを許されてん。そのコンゴスクエアでジャズが生まれたんやで。」
「そのジャズがこのミシシッピ川を上がってシカゴに行き、そのあとニューヨークにたどりついてん。」
大我は黙って聞いていました。
ジャズをできる幸せが少しでも分かってくれたと思います。
ブラザーMITCHと2ショット。

そしてホテルへ。
これが眠らぬ街角、バーボンストリート。Burning Brightで時々演奏する「Moon Over Bourbon Street」をハミングしながら月を探してみましたが、ネオンやイルミネーションが明るすぎて通り上空の狭い空間には見つかりませんでした。

There's the moon over Bourbon Street tonight~♪

プロジャズドラマー大我は、初めて念願のセカンドラインのスネアドラムに出会いました。
セカンドライン (second line)とは、ニューオーリンズの葬儀などで伝統的に行われるパレードの音楽です。ファーストラインと呼ばれる遺族の列が大切な人の死を悼み荘厳な音楽で墓地へと向かうのに対し、墓地からの帰りは、セカンドラインのブラスバンドが奏でるひたすら明るく賑やかな音楽のリズムで歌い踊りながら天国へ昇りゆく魂を送るのだそうです。そして、ニューオリンズ人々の生と死の営みから生まれたこの伝統的な独特のリズムは、ジャズ、R&B、ファンクなど音楽の重要な要素となっているのです。
セカンドラインのパレードは現在では葬儀以外にイベントなどでも行われているそうですが、南部都市ニューオリンズの夏は過酷なほど暑いので、7月に入るとあまり行われない(行えない)そうです。それでも、MITCHさんが所属していたブラスバンドの皆さんがMITCHさんの声掛けで「よっしゃ!いっちょやろか!」と暑いのに集まってきてくださったのです。楽しい事なら喜んで!って感じでした。
しかも、スネアドラマーさんがなんと大我用のスネアまで用意してきてくれたのです。

初めて着装するマーチング用のスネアにわくわくの大我。でも小さな大我には重くって、バランスをとりながらビートをたたき出すのはとても大変でした。コツと要領を教えてもらってしばし練習すると、すぐにうまく叩けるようになり、ブラスバンドが紡ぐ軽快なセカンドラインに加わってビートを一緒に刻みました。
集まってくれたミュージシャン達、物凄い迫力の演奏で、鳥肌モンです!本物です!!!


うまいもんだ!
ニューオリンズで生まれ育ったジャズっ子よりもうまいよ!と最高のほめ言葉をもらい物凄く嬉しかった大我です。

もちろん、MITCHさんも加わって、演奏はヒートアップ。さすがは日本が誇るニューオリンズジャズトランペッター!生き生きと水を得た魚のような瑞々しい演奏でした。
と~ても危ない地区でしたが、音楽にあわせ踊りながら歩く買い物帰りのオジサンや、音につられて玄関先で踊りだす親子、物凄~くイカツイ顔をした大男が大我を見てニッコリ笑い唄い出すなど、このセカンドラインの威力は凄いものです。

トロンボーンのお兄ちゃんが、大我のビートをとっても気に入ってくれ、演奏が終わってからも大我とデュオの演奏がしばらく続きました。
そんな爆音の演奏のなか、すやすや眠り続ける”カネヤン”ことカーネル君、MIKIさんのご長男です。この巨大なベイビーはなんとこれでも生後2か月…お腹が減った時、ほんの少しだけグズるカネヤン。とってもおりこーさんです!

この前大我は、東京の同じホテルで泊っていたボブ・サップに会ったことがあります。
「絶対カネヤンは、ニューオリンズのボブ・サップになるな~!今は”小ぶ・サップ”やけど・・・」
ニューオリンズならではの楽しく貴重な体験の後、ニューオリンズジャズの余韻に浸りながら、MITCHさんの案内でミシシッピ川を望む公園へ。
芝生にごろーーん!

ブラザーMITCHが対岸を眺め「大我、あっちに見える建物あるやろ?昔な、あそこに沢山の奴隷がミシシッピ川を通って無理やり連れてこられたんやで。ほんでな、その中で生き残った元気な人たちが又、船に詰め込まれてアメリカのあちこちに売られていったんや。」
「ニューオリンズで買われた奴隷たちが初めて許された自由が音楽やってん。大我が明日ライヴするお店の前にあるコンゴスクエアで日曜日のお昼だけ音楽をすることを許されてん。そのコンゴスクエアでジャズが生まれたんやで。」
「そのジャズがこのミシシッピ川を上がってシカゴに行き、そのあとニューヨークにたどりついてん。」
大我は黙って聞いていました。
ジャズをできる幸せが少しでも分かってくれたと思います。
ブラザーMITCHと2ショット。

そしてホテルへ。
これが眠らぬ街角、バーボンストリート。Burning Brightで時々演奏する「Moon Over Bourbon Street」をハミングしながら月を探してみましたが、ネオンやイルミネーションが明るすぎて通り上空の狭い空間には見つかりませんでした。

There's the moon over Bourbon Street tonight~♪