2011も大我、がんばります! - 2011.01.01 Sat

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。
2011年が、皆様にとっても素晴らしい一年となりますように。
2004年4月(5歳)から本格的に個人レッスンを受け、その5ヶ月後にセッションデビュー。全国各地セッション&ライヴ乱入を繰り返した日々。
2005年3月、幼稚園児だった6歳の頃からストリート演奏を開始(6歳10ヵ月プロデビュー)。その活動が評判となり、京都新聞夕刊トップ一面で紹介されたのを皮切りに、全国ネットのフジTV密着報道、北野武「誰でもピカソ」、日テレ「ズームイン」、NHK密着報道&生出演、毎日放送密着報道、MBS放送「せやねん!」、読売TV「大阪ほんわかTV」、FM802、FMαステイション、FM大阪等、相次ぎ出演した苦しい密着取材の3ヵ月間。
6歳の最後に収録した初DVD。今見ると本当に小っちゃくて笑けます!(希少映像デス!)
直後の7歳で渡米。ミンガスビックバンドとの共演やニューヨークのライブ乱入を繰り返し、自身で出演依頼をGETしハーレムデビュー。世界の扉を少し開けた瞬間でした。
もう直ぐ活動をはじめてから丸7年。本当に色んな事が経験でき、また歴史的な足跡も残す事ができました。
8年目となる今年は4月から中学生。新しい年が実り多き一年となりますよう、ますますがんばりますので、応援よろしくお願いいたします。
今年も早々から、多彩なジャズマンとのBIGな企画がラインナップされております。ぜび、一回り大きくなった大我の演奏をお楽しみにいらしてください。
会場でお会いできたらうれしいです。ぜひお声かけ下さい。
【2011春の主なLIVE】
With Henry Franklin (b)…西海岸のジャズを支える巨匠ベーシスト
1/22(土) SUB(大阪)
With 井上智 (g) + クリヤマコト (p)…鬼才がダブル登場!大我が若き情熱をぶつけます
2/3日(木) Mr.Kelly's(大阪)
2/4日(金) たのたの庵(岡山)
2/5日(土) Speak Low(広島)
2/6日(日) Satin Doll(神戸)
With 日野皓正 (tp)…ご存知ジャズ界を代表する炎のトランペッターとの4DAYS
2/27(日) コンサート@ 堺市栂文化会館(大阪・堺)
2/28(月) 詳細後日
3/1(火) 詳細後日
3/2(水) きらきらひかる(京都)
*詳細は、大我公式ウェブサイトでご確認ください。
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77歳!熱血ベーシスト健在! - 2009.10.21 Wed
知る人ぞ知る、泣く子も黙る関西ジャズ界のドン!
満州生まれ。ラジオから流れるルイ・アームストロングに憧れ、終戦後米軍キャンプで演奏し、アート・ブレイキーの初来日に感動し、関西のジャズシーンを創りあげてきた男!
何店舗か経営してきたお店も、今では22~3人が入れば一杯という小さなジャズクラブ一軒のみ。
50年以上、自身の演奏料とお店の売り上げを全てジャズにつぎ込んできたジャズバカ一代。
そうそうたる本物のジャズメンを個人でアメリカから呼び寄せ続けるパワー、精神力は日本一!
アメリカの大物ミュージシャンのほとんどが、この小さなお店を訪れ演奏してきた。
日野皓正も毎年ここでプレイする。
お店にはアート・ブレイキーが被っていたテンガロンハットがピアノの上に飾ってある。お世話になったお礼で置いて行った物だ。
京都に「ベラミ」が在ったころ、美空ひばりがジャズを唄いたいと勉強に訪れたのもこのお店。
様々な関西ジャズ史を創り上げてきたドンとお店。一言では語りつくせない。
「じじ、誕生日おめでと~!」
「Oh~!大我ちゃん!My Men!おおきに!」
大我の短いジャズ史もここから沢山創られた・・・・・そう、ドン・西山満とジャズクラブ・SUB。
「怖い人やで~」と多くのミュージシャンから聞いていたが、5歳の時初めてその小さなお店の重い扉を叩いた。SUBのセッションに乱入。

当時70歳を過ぎたドンは大我に驚愕!「永くジャズ界を見てきたが、これで日本も期待が持てる!」が、第一声。
幾度度となく共演させていただいた。
真剣勝負のジャズ、愛溢れるジャズ。多くの事を学ぶ。
その度、「大我ちゃん愛してるよ!」と叫びながら重低音を響かせリズムセクションが一体となる。

大我はドン・西山満を「じじ」と呼ぶ。もちろん大我だけ。
ドン・西山満は大我を「大我ちゃん」と呼ぶ。満面の笑みで。
大我が「じじ」と呼ぶようになってから「じじ」も自分の事を「じじ」と言う。
ドンがお怒りのときも一瞬にして空気が和む・・・大我のおかげで助けられた人、多数・・・
この日(10月10日)はじじ77歳の誕生日。知り会ってから毎年この日はSUBに行く。
毎年、元気で会えますように・・・LOVE!
PS ,10月24日、東京のイベントのリハーサルで前ノリした時、阿佐ヶ谷ジャズストリートに参加されていたじじに会いに行ってきました。(内緒で・・・)目の中に入れても痛くない大我が会いに来てくれたので、じじ、大喜び!

「おお大我ちゃん!来てくれたか!一緒にやろう!」と、 じじ、超ご機嫌!
渡辺貞夫さんの実弟、ドラムの渡辺文男さんに代わり、結局セッションしちゃいました。
共演は京都の名ピアニスト藤井貞泰さん、サックスはエルヴィン・ジョーンズジャズマシーンでおなじみの高橋知己さん。
その後ジャズストリートのジャムセッションに皆でなだれ込み、トランペッターの松島啓之さんを加えて遊んできました。
打ち上げでも大いに盛り上がり楽しいひと時でした。
満州生まれ。ラジオから流れるルイ・アームストロングに憧れ、終戦後米軍キャンプで演奏し、アート・ブレイキーの初来日に感動し、関西のジャズシーンを創りあげてきた男!
何店舗か経営してきたお店も、今では22~3人が入れば一杯という小さなジャズクラブ一軒のみ。
50年以上、自身の演奏料とお店の売り上げを全てジャズにつぎ込んできたジャズバカ一代。
そうそうたる本物のジャズメンを個人でアメリカから呼び寄せ続けるパワー、精神力は日本一!
アメリカの大物ミュージシャンのほとんどが、この小さなお店を訪れ演奏してきた。
日野皓正も毎年ここでプレイする。
お店にはアート・ブレイキーが被っていたテンガロンハットがピアノの上に飾ってある。お世話になったお礼で置いて行った物だ。
京都に「ベラミ」が在ったころ、美空ひばりがジャズを唄いたいと勉強に訪れたのもこのお店。
様々な関西ジャズ史を創り上げてきたドンとお店。一言では語りつくせない。
「じじ、誕生日おめでと~!」
「Oh~!大我ちゃん!My Men!おおきに!」
大我の短いジャズ史もここから沢山創られた・・・・・そう、ドン・西山満とジャズクラブ・SUB。
「怖い人やで~」と多くのミュージシャンから聞いていたが、5歳の時初めてその小さなお店の重い扉を叩いた。SUBのセッションに乱入。

当時70歳を過ぎたドンは大我に驚愕!「永くジャズ界を見てきたが、これで日本も期待が持てる!」が、第一声。
幾度度となく共演させていただいた。
真剣勝負のジャズ、愛溢れるジャズ。多くの事を学ぶ。
その度、「大我ちゃん愛してるよ!」と叫びながら重低音を響かせリズムセクションが一体となる。

大我はドン・西山満を「じじ」と呼ぶ。もちろん大我だけ。
ドン・西山満は大我を「大我ちゃん」と呼ぶ。満面の笑みで。
大我が「じじ」と呼ぶようになってから「じじ」も自分の事を「じじ」と言う。
ドンがお怒りのときも一瞬にして空気が和む・・・大我のおかげで助けられた人、多数・・・
この日(10月10日)はじじ77歳の誕生日。知り会ってから毎年この日はSUBに行く。
毎年、元気で会えますように・・・LOVE!
PS ,10月24日、東京のイベントのリハーサルで前ノリした時、阿佐ヶ谷ジャズストリートに参加されていたじじに会いに行ってきました。(内緒で・・・)目の中に入れても痛くない大我が会いに来てくれたので、じじ、大喜び!

「おお大我ちゃん!来てくれたか!一緒にやろう!」と、 じじ、超ご機嫌!
渡辺貞夫さんの実弟、ドラムの渡辺文男さんに代わり、結局セッションしちゃいました。
共演は京都の名ピアニスト藤井貞泰さん、サックスはエルヴィン・ジョーンズジャズマシーンでおなじみの高橋知己さん。
その後ジャズストリートのジャムセッションに皆でなだれ込み、トランペッターの松島啓之さんを加えて遊んできました。
打ち上げでも大いに盛り上がり楽しいひと時でした。
時は過ぎゆく… - 2009.01.26 Mon
昨年、年の瀬も押し迫った12月30日、トランペッターのフレディー・ハバート氏の訃報が届き、大我も大変な衝撃を受けました。
大好きなドラマー、エルヴィン・ジョーンズ師との共演も多かったので、鋭い光を放つような芯の強いトランペットの音色に自然と惹かれ、大好きでした。長い間、唇を痛めて表舞台から退いておられたため、往年のCDで名演を聴くたびに何とも残念な思いがこみ上げてきたものでした。ああ、生で聴いてみたい…と。
そのフレディー氏が、フリューゲルホーンで復活CDを出され、徐々にライブ活動も再開されていると聞いたのが昨年はじめのこと。そして、大我がレコーディングで6月に渡米した際、彼のライブシリーズに遭遇したのです。夢に見た念願の「フレディー・ハバート生演奏」を聴いたのでした。
今思えば、大我がNYに滞在していたわずかな時期に、Iridiumで彼がライブシリーズを行い、その生演奏を大我が聴くことができたのは、何かしら理由があったのではないか…。そう思えてなりません。
上機嫌でした。オンステージもオフステージも。
バスターやベニーと一緒にレコーディングだって!?
なんとまあ…
(大我をじっと見ながらゆっくりと首を10回くらい振る…)
おまえはそんなにうまいのか?
きいてみたいもんだなあ・・・
そう言いながら、マネージャーに大我のライブ予定日の自分の日程を確認しておられたフレディー氏。「ああ○○!その日はメキシコだ…」そう舌打ちしながら残念そうな表情を見せてくださった。今ではその表情の記憶が宝物です。
バックステージであんなに人としゃべるミュージシャンをほかに見たことがありません。放っておけば、たぶん一晩中でもしゃべっているでしょう。
ジャズの表舞台に帰り立ち、彼を忘れなかったファンやミュージシャン仲間が彼を温かく迎えたこと。それで、彼がそれまでに人知れず耐え忍んできた苦しい思いが一気に解き放たれたのではなかったでしょうか。たたえておられたのは、まさに「歓喜」の表情でした。酔っ払ってましたけど…。

彼の思いは彼のみぞ知る。だから全くの想像でしかありませんが、もし彼が、トランペットを吹けなくなった悲劇のヒーローのまま去っていったのではなく、我々が感じたとおり、復活の歓喜の中、愛されるジャズマンとして最高の気分のまま天国へ旅立たれたのだとすれば、本当に、本当に、よかったと思います。
こんなことを今日書いたのは、新たな訃報をまた聞いたからです。
サックス奏者のDavid Newman氏が旅立たれたとのこと。
Newman氏もまた、大我が昨年の渡米の際にそのライブを聴いたベテランジャズマンです。Dizzy's ClubでのRonnie Smith Quartetで聴きました。
大丈夫かな?と思うほど弱々しい風情の方でしたが、スツールからよろよろとソロに立ち上がると、もうありえないような若々しい音色で朗々と歌い上げる…。存在感溢れる素晴らしいプレイヤーでした。数多く聴いたライブのソリストの中でも強く印象に残っています。
時は過ぎゆく… 万人に平等に…
シンバルの陰に隠れ、一体どこにいるのか見えないほど小さかった6歳のころから、尊敬するジャズメンの名演を追い続けてきた大我も早(?)二桁の10歳。
時計は休みなく進み行くものなんですね。
残念なジャズ界の訃報を聞くたび、どんどん背が高くなる大我を見ながらそう思います。
追う背中がどんどん届かないところへと行ってしまうのです。
大好きなドラマー、エルヴィン・ジョーンズ師との共演も多かったので、鋭い光を放つような芯の強いトランペットの音色に自然と惹かれ、大好きでした。長い間、唇を痛めて表舞台から退いておられたため、往年のCDで名演を聴くたびに何とも残念な思いがこみ上げてきたものでした。ああ、生で聴いてみたい…と。
そのフレディー氏が、フリューゲルホーンで復活CDを出され、徐々にライブ活動も再開されていると聞いたのが昨年はじめのこと。そして、大我がレコーディングで6月に渡米した際、彼のライブシリーズに遭遇したのです。夢に見た念願の「フレディー・ハバート生演奏」を聴いたのでした。
今思えば、大我がNYに滞在していたわずかな時期に、Iridiumで彼がライブシリーズを行い、その生演奏を大我が聴くことができたのは、何かしら理由があったのではないか…。そう思えてなりません。
上機嫌でした。オンステージもオフステージも。
バスターやベニーと一緒にレコーディングだって!?
なんとまあ…
(大我をじっと見ながらゆっくりと首を10回くらい振る…)
おまえはそんなにうまいのか?
きいてみたいもんだなあ・・・
そう言いながら、マネージャーに大我のライブ予定日の自分の日程を確認しておられたフレディー氏。「ああ○○!その日はメキシコだ…」そう舌打ちしながら残念そうな表情を見せてくださった。今ではその表情の記憶が宝物です。
バックステージであんなに人としゃべるミュージシャンをほかに見たことがありません。放っておけば、たぶん一晩中でもしゃべっているでしょう。
ジャズの表舞台に帰り立ち、彼を忘れなかったファンやミュージシャン仲間が彼を温かく迎えたこと。それで、彼がそれまでに人知れず耐え忍んできた苦しい思いが一気に解き放たれたのではなかったでしょうか。たたえておられたのは、まさに「歓喜」の表情でした。酔っ払ってましたけど…。

彼の思いは彼のみぞ知る。だから全くの想像でしかありませんが、もし彼が、トランペットを吹けなくなった悲劇のヒーローのまま去っていったのではなく、我々が感じたとおり、復活の歓喜の中、愛されるジャズマンとして最高の気分のまま天国へ旅立たれたのだとすれば、本当に、本当に、よかったと思います。
こんなことを今日書いたのは、新たな訃報をまた聞いたからです。
サックス奏者のDavid Newman氏が旅立たれたとのこと。
Newman氏もまた、大我が昨年の渡米の際にそのライブを聴いたベテランジャズマンです。Dizzy's ClubでのRonnie Smith Quartetで聴きました。
大丈夫かな?と思うほど弱々しい風情の方でしたが、スツールからよろよろとソロに立ち上がると、もうありえないような若々しい音色で朗々と歌い上げる…。存在感溢れる素晴らしいプレイヤーでした。数多く聴いたライブのソリストの中でも強く印象に残っています。
時は過ぎゆく… 万人に平等に…
シンバルの陰に隠れ、一体どこにいるのか見えないほど小さかった6歳のころから、尊敬するジャズメンの名演を追い続けてきた大我も早(?)二桁の10歳。
時計は休みなく進み行くものなんですね。
残念なジャズ界の訃報を聞くたび、どんどん背が高くなる大我を見ながらそう思います。
追う背中がどんどん届かないところへと行ってしまうのです。
音楽で結ばれる友情… - 2008.02.19 Tue
またまたこんな記事を見つけてしまった。
今度は闘病中であるベテランベーシストのデニス・アーウィン氏を支えるためのチャリティコンサートが開かれるとのおしらせ。(dennisirwin.org).
しかしびっくりしたのが会場とその出演者。会場はまずは老舗Villege Vanguard。そしてニューヨークジャズの拠点リンカーンセンターのあのガラス張りのAllen Room!
そして参加メンバーが・…
Mose Allison, Ron Carter, Bill Charlap, Jack DeJohnette, Bill Frisell, Jim Hall, Jon Hendricks, Joe Lovano, Wynton Marsalis, Paul Motian, John Patitucci, John Scofield and Sultans of Swing, with David Berger
すごっ!
ジャズフェスでもこんなメンバーいっぺんに集まらないだろう・・・。
ちなみに$150ドル(Allen Room)とのこと。
きっと安い。いやめちゃ安い。
音頭とりはロヴァノ、スコフィールド両氏のようだが、かなり大掛かりな組織的動きのようだ。アーウィン氏のお人柄か?「音楽のために全てを捧げてきた彼に少しでもお返ししないと…」とメッセージが書かれていた。ご自身の足跡がこういうところに反映されているのだろう。
闘病のお見舞いを申し上げるとともに、ご全快をお祈りします。
そして元気いっぱい遊び倒している大我を見て思う。
仲間達、友人、家族が健康であることに感謝…
今度は闘病中であるベテランベーシストのデニス・アーウィン氏を支えるためのチャリティコンサートが開かれるとのおしらせ。(dennisirwin.org).
しかしびっくりしたのが会場とその出演者。会場はまずは老舗Villege Vanguard。そしてニューヨークジャズの拠点リンカーンセンターのあのガラス張りのAllen Room!
そして参加メンバーが・…
Mose Allison, Ron Carter, Bill Charlap, Jack DeJohnette, Bill Frisell, Jim Hall, Jon Hendricks, Joe Lovano, Wynton Marsalis, Paul Motian, John Patitucci, John Scofield and Sultans of Swing, with David Berger
すごっ!
ジャズフェスでもこんなメンバーいっぺんに集まらないだろう・・・。
ちなみに$150ドル(Allen Room)とのこと。
きっと安い。いやめちゃ安い。
音頭とりはロヴァノ、スコフィールド両氏のようだが、かなり大掛かりな組織的動きのようだ。アーウィン氏のお人柄か?「音楽のために全てを捧げてきた彼に少しでもお返ししないと…」とメッセージが書かれていた。ご自身の足跡がこういうところに反映されているのだろう。
闘病のお見舞いを申し上げるとともに、ご全快をお祈りします。
そして元気いっぱい遊び倒している大我を見て思う。
仲間達、友人、家族が健康であることに感謝…
Be insured! - 2008.02.15 Fri
超過激サックスプレイで知られるアンドリュー・ダンジェロさんが1月末に車を運転中に気を失い病院に運ばれ現在入院中だそうだ。なんと巨大な脳腫瘍が見つかり摘出手術を受けられたらしい。おそらく悪性ではないだろうとのことだが、とーっても大変な状況らしい。
…というのも彼は、保険に加入していなかった!
恐ろしい話である…。
洋の東西、ジャンルを問わず「ミュージシャン」という職業の人間にとって、大変深刻な問題だ。
今、地元ニューヨーク・ブルックリンを中心に支援のためのチャリティコンサートがたくさん企画され、募金も募っているとのこと。
(インフォメーションはAndrew D’Angelo.com)
1966年生まれの「吹き盛り」の40歳。一日も早いご全快をお祈りします!
そして、思う。やっぱ身も心も健康第一!
(健康オタクの日本の過激サックスプレイヤーM氏を見習おう!)
…というのも彼は、保険に加入していなかった!
恐ろしい話である…。
洋の東西、ジャンルを問わず「ミュージシャン」という職業の人間にとって、大変深刻な問題だ。
今、地元ニューヨーク・ブルックリンを中心に支援のためのチャリティコンサートがたくさん企画され、募金も募っているとのこと。
(インフォメーションはAndrew D’Angelo.com)
1966年生まれの「吹き盛り」の40歳。一日も早いご全快をお祈りします!
そして、思う。やっぱ身も心も健康第一!
(健康オタクの日本の過激サックスプレイヤーM氏を見習おう!)
音・・・聴こえるということ - 2008.01.08 Tue
ジャズドラマー鬼束"Tiger"大我はジャズにどっぷりで、ポップス系の音楽を聴くことがあまりない。洋楽はともかく、J-POPは1曲丸ごと聴いたことがあるのは、たぶんアニメの主題歌くらい…。もしくは「おしりかじり虫」とか「ぼくはくま」などの「みんなの歌」系か…
したがって大我のブログにこの人の名前が出ることがあるとは夢にも思わず・・・
浜崎あゆみさん
大我には「あゆ」の歌はコマーシャルなどで耳にしたことがあるか?くらい?
しかし、先日のニュースには大変驚いた。浜崎さんが左耳の聴力を完全に失っていたということ。
…身につまされる。
浜崎さんは、「右は聴こえるからずっと歌い続けたい」とあっけらかんと前向きだ。とはいえミュージシャンにとって「命」のような機能を半分失うという恐怖や不安は相当だろうと思う。心の奥底は当人以外に知りえないが、そういうポジティブな姿勢には感服する。
実は昨年末に新聞のある投稿を読んで以来、深く考えさせられていたことがあった。
読者欄の「欲しいもの」というお題に投稿した95歳の女性。彼女が何より「欲しいもの」として訴えたのは「音」だった。15歳で聴覚を失い、「ただ耳鳴りだけの世界に放り出された」という。
「聞こえる耳が欲しい。世の中の騒音を耳にしたい。この切実な思いは墓場まで持って行かねばならない悲しみである。もし、人並みに聞こえたら、いや半分でも耳に言葉が入ったら、人生はどんなに楽しかろう。聞こえることが普通だと思っている人には、この悩み、耳への欲望はわからないと思う。耳を下さい!神様、聞こえたい!」(07/12/5朝日新聞)
そう綴られていて、心臓をガツンと殴られたような気がした。
音楽に携わりながら、不覚にも考えたことのない世界だった。「聞こえることが普通だと思っている」自分には、「音楽」なしの80年という年月を想像すること自体できない。見ず知らずの人だが、「音」を渇望しながらその歳月を過ごして来られたこの人生の先輩に、何とか「音楽」を感じてもらうすべはないだろうか…。音楽を生業とする者の責任として、「聴こえないなら、仕方ないじゃん」と簡単に背を向けるだけでは済まされないのではないか。そう思ってしまったのだ。
そして、あるお客様から頂いた「Touch The Sound」というDVDを思い出した。
世界的に活躍し2度のグラミー賞に輝く音楽家エヴリン・グレニー氏を追ったドキュメンタリー。彼女は、聴覚障害を持つパーカッショニスト。
音楽は「耳」で聴くもの…という固定概念は根底から覆され、「体」全体で触れ、そして「心」で感じるものであるということを思い知らされる。まさにBody&Soul…

「『聴くこと』は『触れること』の一つの形に過ぎない」とは彼女の言葉。
たぶん、音楽は五感の全てと心で表現し、そして感じるもの。それでこそ音楽だということなのだろう。もしかしたら、健常な耳を持っているがために、実はちゃんと感じ取っていないこともたくさんあるのかもしれない。音楽を奏でる側としては理屈や技術うんぬん以前の精神論であり難しいが大切なことだ。
大我は9歳の子供だけに、そこらへんを案外すんなりと理屈抜きに感じとっているように思う。耳だけではなく全身で音を感じ、空気を敏感に読み取り、メンバーとのアイコンタクトで言葉なき対話を続ける。そしてそうやって感じとったままを自然にやりたいように表現している。そんな大我だからこそできることがあるのかもしれないと思う。
それにしても、浜崎さん。
前途には困難も多いだろうけれど、その前向きさに乗っかって考えてみると、彼女は新しい可能性を手にしたということかもしれない。人間は可能性の塊だから。
したがって大我のブログにこの人の名前が出ることがあるとは夢にも思わず・・・
浜崎あゆみさん
大我には「あゆ」の歌はコマーシャルなどで耳にしたことがあるか?くらい?
しかし、先日のニュースには大変驚いた。浜崎さんが左耳の聴力を完全に失っていたということ。
…身につまされる。
浜崎さんは、「右は聴こえるからずっと歌い続けたい」とあっけらかんと前向きだ。とはいえミュージシャンにとって「命」のような機能を半分失うという恐怖や不安は相当だろうと思う。心の奥底は当人以外に知りえないが、そういうポジティブな姿勢には感服する。
実は昨年末に新聞のある投稿を読んで以来、深く考えさせられていたことがあった。
読者欄の「欲しいもの」というお題に投稿した95歳の女性。彼女が何より「欲しいもの」として訴えたのは「音」だった。15歳で聴覚を失い、「ただ耳鳴りだけの世界に放り出された」という。
「聞こえる耳が欲しい。世の中の騒音を耳にしたい。この切実な思いは墓場まで持って行かねばならない悲しみである。もし、人並みに聞こえたら、いや半分でも耳に言葉が入ったら、人生はどんなに楽しかろう。聞こえることが普通だと思っている人には、この悩み、耳への欲望はわからないと思う。耳を下さい!神様、聞こえたい!」(07/12/5朝日新聞)
そう綴られていて、心臓をガツンと殴られたような気がした。
音楽に携わりながら、不覚にも考えたことのない世界だった。「聞こえることが普通だと思っている」自分には、「音楽」なしの80年という年月を想像すること自体できない。見ず知らずの人だが、「音」を渇望しながらその歳月を過ごして来られたこの人生の先輩に、何とか「音楽」を感じてもらうすべはないだろうか…。音楽を生業とする者の責任として、「聴こえないなら、仕方ないじゃん」と簡単に背を向けるだけでは済まされないのではないか。そう思ってしまったのだ。
そして、あるお客様から頂いた「Touch The Sound」というDVDを思い出した。
世界的に活躍し2度のグラミー賞に輝く音楽家エヴリン・グレニー氏を追ったドキュメンタリー。彼女は、聴覚障害を持つパーカッショニスト。
音楽は「耳」で聴くもの…という固定概念は根底から覆され、「体」全体で触れ、そして「心」で感じるものであるということを思い知らされる。まさにBody&Soul…

「『聴くこと』は『触れること』の一つの形に過ぎない」とは彼女の言葉。
たぶん、音楽は五感の全てと心で表現し、そして感じるもの。それでこそ音楽だということなのだろう。もしかしたら、健常な耳を持っているがために、実はちゃんと感じ取っていないこともたくさんあるのかもしれない。音楽を奏でる側としては理屈や技術うんぬん以前の精神論であり難しいが大切なことだ。
大我は9歳の子供だけに、そこらへんを案外すんなりと理屈抜きに感じとっているように思う。耳だけではなく全身で音を感じ、空気を敏感に読み取り、メンバーとのアイコンタクトで言葉なき対話を続ける。そしてそうやって感じとったままを自然にやりたいように表現している。そんな大我だからこそできることがあるのかもしれないと思う。
それにしても、浜崎さん。
前途には困難も多いだろうけれど、その前向きさに乗っかって考えてみると、彼女は新しい可能性を手にしたということかもしれない。人間は可能性の塊だから。
ちょっとびっくり! - 2008.01.06 Sun
アメリカのThe United Artistsという団体が、将来性のある芸術家の活動をサポートする奨学金プログラムを行っている。建築デザイン、伝統工芸、舞踊、文芸、メディア、音楽、演劇、視覚芸術という各分野に、何名かずつ計50名の奨励者を選び活動資金を支給するというプログラムだ。
先頃、今年度の奨励者が選ばれた。音楽分野の定員は6名らしいが、日本ではまず考えられない結果にびっくりした。
音楽分野で選ばれた6人は、なんと全員がジャズミュージシャン!
ちなみに、その6名は以下の通り。
Don Byron (comp.),
Michael Doucet (cajun),
Leila Josefowicz (violin),
Jason Moran (piano),
John Santos (Latin jazz),
Evan Ziporyn (comp. and clarinet)
知らない人たちばかりだが、アメリカという国がいかに独自の音楽文化ジャズを芸術として重要視しているか、そしてそれを支える層の厚さを感じるニュースだった。
ええぞー!
先頃、今年度の奨励者が選ばれた。音楽分野の定員は6名らしいが、日本ではまず考えられない結果にびっくりした。
音楽分野で選ばれた6人は、なんと全員がジャズミュージシャン!
ちなみに、その6名は以下の通り。
Don Byron (comp.),
Michael Doucet (cajun),
Leila Josefowicz (violin),
Jason Moran (piano),
John Santos (Latin jazz),
Evan Ziporyn (comp. and clarinet)
知らない人たちばかりだが、アメリカという国がいかに独自の音楽文化ジャズを芸術として重要視しているか、そしてそれを支える層の厚さを感じるニュースだった。
ええぞー!
A Sad Day For Jazz... - 2007.12.25 Tue
クリスマスにカナダから届いたニュースは、あまりにも悲しく…
偉大なジャズピアニスト、オスカー・ピーターソン氏の訃報。
享年82歳。

大我も大好きなピアニスト、尊敬する本物のジャズマンの一人だった。
コンサートDVDを持っていて、小さい頃からよく見ていた。汗をかきかき、ホーミーみたいな独特のハミングをしながらスイングする大きな大きな背中のジャズマン。
「でっかいピアノのおっちゃん、ごっつい指やのに魔法みたいにすごい音がでてくるなあ…」と思っていた。
大我にとって最も身近なピアニストである辻佳孝さんは、「オスカー・ピーターソン」がジャズピアニストを志すきっかけだったそうで(この訃報で辻さんが受けたショックを思うとかける言葉も見つからない…)、彼を介しても大我はピーターソン氏の曲やアレンジに色々と取り組んできた。お気に入りの曲もいっぱいある。
天才少年だったらしい。
でも、すでに完成したと自負していた14歳のある日、アート・テイタムの演奏を聴いて驚愕し、「こんなに素晴らしいピアノは他の誰にも弾けやしない!」とその後丸2ヶ月間ピアノに向かうことができず、毎夜涙に暮れたそうだ。
目の前に立ちはだかる偉大な巨人の音楽に目覚め、挑み、悩み、学び、成長する。ジャズの世界には、そんな経験を経て次なる新たな伝説的プレイヤーが生まれて来たのだろう。そしてこれからも、オスカー・ピーターソンという偉大なピアニストの大きな背中を次の世代が追いかける。
大我は、生でその演奏を聴くことができなかったことが残念だ。ピーターソン氏のCD(ほとんど辻さんにもらったもの)を大切に聴いて、美しい創造性と思わず体がスイングするあの感覚を大切な宝物として受け継いでいかなければならない。
Thank you for the music you gave us, Mr. Peterson!
We will treasure what you left.
Rest in peace.
偉大なジャズピアニスト、オスカー・ピーターソン氏の訃報。
享年82歳。

大我も大好きなピアニスト、尊敬する本物のジャズマンの一人だった。
コンサートDVDを持っていて、小さい頃からよく見ていた。汗をかきかき、ホーミーみたいな独特のハミングをしながらスイングする大きな大きな背中のジャズマン。
「でっかいピアノのおっちゃん、ごっつい指やのに魔法みたいにすごい音がでてくるなあ…」と思っていた。
大我にとって最も身近なピアニストである辻佳孝さんは、「オスカー・ピーターソン」がジャズピアニストを志すきっかけだったそうで(この訃報で辻さんが受けたショックを思うとかける言葉も見つからない…)、彼を介しても大我はピーターソン氏の曲やアレンジに色々と取り組んできた。お気に入りの曲もいっぱいある。
天才少年だったらしい。
でも、すでに完成したと自負していた14歳のある日、アート・テイタムの演奏を聴いて驚愕し、「こんなに素晴らしいピアノは他の誰にも弾けやしない!」とその後丸2ヶ月間ピアノに向かうことができず、毎夜涙に暮れたそうだ。
目の前に立ちはだかる偉大な巨人の音楽に目覚め、挑み、悩み、学び、成長する。ジャズの世界には、そんな経験を経て次なる新たな伝説的プレイヤーが生まれて来たのだろう。そしてこれからも、オスカー・ピーターソンという偉大なピアニストの大きな背中を次の世代が追いかける。
大我は、生でその演奏を聴くことができなかったことが残念だ。ピーターソン氏のCD(ほとんど辻さんにもらったもの)を大切に聴いて、美しい創造性と思わず体がスイングするあの感覚を大切な宝物として受け継いでいかなければならない。
Thank you for the music you gave us, Mr. Peterson!
We will treasure what you left.
Rest in peace.
Jazz Photographer - 2007.11.01 Thu
今回の東京遠征中、素晴らしい出会いがあった。
中平穂積さん。本物のジャズマンだ。楽器は演奏しないけど…。
中平さんが操るのはカメラ。Jazz Photographerだ。1961年にアート・ブレーキーが初来日した際に彼の演奏を撮影して以来、名だたるジャズジャイアンツの生身に迫る数々の名作を撮られてきた。
作品を見せてもらった。マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク…。見ているだけでその生き生きとしたリアルな表情に息が詰まり涙が出そうになる。

(中平さんに写真集を見せてもらう大我)
現在は引退されているがDUGという老舗ライブハウスのオーナーでもあり、国内外多くのジャズメンと親交も深い。その中平さんに鬼束”Tiger”大我は今回写真を撮ってもらったのだ。光栄の至りである。中平さんがカメラを構えファインダーを覗くと空気がピンと張り澱みがなくなる。大我も表情がきりっと引き締まる。しかも不思議と自然だ。

どんな写真が仕上がってくるのか待ちきれない。
--------------
中平さんとのフォトセッション後、NARUへ遊びに行った。先日横浜ジャズプロムナードでご一緒したトランペッター原朋直さんのライブ(pユキアリマサさん、b佐藤恭彦さん、ds森島裕貴さん)だ。原さんに促されて大我も1曲参加することに。

原さんは共演済みだが、他のメンバーは初めて見る大我があまりに小さいのでちょっと半信半疑?
しかし演奏が始まるとあっという間に皆ニコニコ笑顔に!
佐藤さんのベースに大我が絶妙に絡むドラミングを披露し、大拍手!
中平穂積さん。本物のジャズマンだ。楽器は演奏しないけど…。
中平さんが操るのはカメラ。Jazz Photographerだ。1961年にアート・ブレーキーが初来日した際に彼の演奏を撮影して以来、名だたるジャズジャイアンツの生身に迫る数々の名作を撮られてきた。
作品を見せてもらった。マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク…。見ているだけでその生き生きとしたリアルな表情に息が詰まり涙が出そうになる。

(中平さんに写真集を見せてもらう大我)
現在は引退されているがDUGという老舗ライブハウスのオーナーでもあり、国内外多くのジャズメンと親交も深い。その中平さんに鬼束”Tiger”大我は今回写真を撮ってもらったのだ。光栄の至りである。中平さんがカメラを構えファインダーを覗くと空気がピンと張り澱みがなくなる。大我も表情がきりっと引き締まる。しかも不思議と自然だ。

どんな写真が仕上がってくるのか待ちきれない。
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中平さんとのフォトセッション後、NARUへ遊びに行った。先日横浜ジャズプロムナードでご一緒したトランペッター原朋直さんのライブ(pユキアリマサさん、b佐藤恭彦さん、ds森島裕貴さん)だ。原さんに促されて大我も1曲参加することに。

原さんは共演済みだが、他のメンバーは初めて見る大我があまりに小さいのでちょっと半信半疑?
しかし演奏が始まるとあっという間に皆ニコニコ笑顔に!
佐藤さんのベースに大我が絶妙に絡むドラミングを披露し、大拍手!
DNAと価値観 - 2007.10.19 Fri
DNAの二重らせん構造を発見したノーベル医学・生理学賞のジェームズ・ワトソン博士(79)の発言が波紋を広げているらしい。
「黒人は知能で白人に劣る」
博士によると、「アフリカの人々(黒人)の知能はわれわれと同じという前提で社会政策がつくられているが、すべての知能テストがそうではないことを示している」…のだそうだ。
根拠は知らないが、この博士は科学者だから統計的事実として客観的な意見を述べたまでで何ら差別的な意味は含んでいないつもりなのかもしれない。しかし、「つもり」ではすまない。DNA研究の第一人者の口からそんな言葉が出ると相当ショッキングだ。
この博士のIQとは比べ物にならない貧相な脳みそだが考えてみた。思うに知能テストなるものが計るもの、それは「白人主導で発展してきた先進国社会の価値観を前提に、それを満たす能力を数値で表したもの」にすぎないのでは?
整った教育環境で育ち、成功し社会的地位や富を得ることを幸せと考え、ハイテクノロジーを駆使した不自由のない暮らしを手に入れる…のならば、そりゃ知能は大事だろう。運と同じくらいに。しかし、そういうことに価値観を見出す社会がすべてじゃない。そして何より、どんな社会であっても「知能」だけが人間の価値を判断する重要要素であるかのように扱うのは恐ろしいことだと思う。しかも人種としてその平均点を評価したところで、個人の資質とは何ら関係ない。それを「事実」だと振りかざすことに一体何の意味があるというのだろう。
一人の人間の特徴は、「知能」の他にも色々な要素からなる。たとえば「身体能力」。たぶん黒人は他の人種を上回るだろう。「リズム感」についてもまたそうだと思う。それもまた特徴。でも、「知能」を示す数値とは違い、これこそ考え方や価値観に関係のない物理的な「事実」だ。
ジャズ界という社会。ここでは「演奏技術」や「アドリブの発想力」、そして「スイング感」やなどがまず命。プロならビジネスセンスも必要かもしれないが、「知能」では到底計れない世界だ。そしてジャズ界においては、「神様」達の多くが黒人だ。黒人たちがその飛びぬけた能力でジャズという文化を芸術の域に押し上げてきたのだ。人種を問わず現代のジャズミュージシャンは、黒人を中心とする巨匠たちが残したこの大いなる遺産に限りない敬意を表し、それを守り発展させるためにジャズに取り組んでいる。
ちなみに、100%日本人である大我のジャズドラムは、よく「黒人みたい」と表現される。それはこの社会でのこの上ない褒め言葉と受け取って喜んでいるし、誇りに思って励みにしている。狭い世界かもしれないが、そこに生きる人間は真剣なのだ。他の社会と同様に…
さて、寿齢の博士…。
この発言が真剣に生きている多くの人々をどれだけ深く傷つけたか、しっかりと考えてほしい。
科学者だから頭で分析するのは自由だが、発言すべきことがどうかの判断が出来ないところがまずどうなんだろう。「知能指数」を量るように、人の痛みがわかるとか、回りに気を使えるといった「良識指数」みたいなものがもし算出できるなら、この博士のその数値はいかほどなのだろうか。そういう意味も含めて人にはそれぞれ得意分野、不得意分野があると痛感する。
人種がどうであれ知能指数の高い人の多くは、たぶん我々が生活する社会にとって有益な人材で、少なからずその恩恵を受けているだろう。しかし、それは時として地球上に多くの不幸を生み出しているということも紛れもない事実だ。
*その後ワトソン博士は、根拠はなかったとして発言を撤回し、公式に謝罪したらしい。謝罪するなら最初から言うな!って人は洋の東西を問わずどんな社会にもいるようだ…
「黒人は知能で白人に劣る」
博士によると、「アフリカの人々(黒人)の知能はわれわれと同じという前提で社会政策がつくられているが、すべての知能テストがそうではないことを示している」…のだそうだ。
根拠は知らないが、この博士は科学者だから統計的事実として客観的な意見を述べたまでで何ら差別的な意味は含んでいないつもりなのかもしれない。しかし、「つもり」ではすまない。DNA研究の第一人者の口からそんな言葉が出ると相当ショッキングだ。
この博士のIQとは比べ物にならない貧相な脳みそだが考えてみた。思うに知能テストなるものが計るもの、それは「白人主導で発展してきた先進国社会の価値観を前提に、それを満たす能力を数値で表したもの」にすぎないのでは?
整った教育環境で育ち、成功し社会的地位や富を得ることを幸せと考え、ハイテクノロジーを駆使した不自由のない暮らしを手に入れる…のならば、そりゃ知能は大事だろう。運と同じくらいに。しかし、そういうことに価値観を見出す社会がすべてじゃない。そして何より、どんな社会であっても「知能」だけが人間の価値を判断する重要要素であるかのように扱うのは恐ろしいことだと思う。しかも人種としてその平均点を評価したところで、個人の資質とは何ら関係ない。それを「事実」だと振りかざすことに一体何の意味があるというのだろう。
一人の人間の特徴は、「知能」の他にも色々な要素からなる。たとえば「身体能力」。たぶん黒人は他の人種を上回るだろう。「リズム感」についてもまたそうだと思う。それもまた特徴。でも、「知能」を示す数値とは違い、これこそ考え方や価値観に関係のない物理的な「事実」だ。
ジャズ界という社会。ここでは「演奏技術」や「アドリブの発想力」、そして「スイング感」やなどがまず命。プロならビジネスセンスも必要かもしれないが、「知能」では到底計れない世界だ。そしてジャズ界においては、「神様」達の多くが黒人だ。黒人たちがその飛びぬけた能力でジャズという文化を芸術の域に押し上げてきたのだ。人種を問わず現代のジャズミュージシャンは、黒人を中心とする巨匠たちが残したこの大いなる遺産に限りない敬意を表し、それを守り発展させるためにジャズに取り組んでいる。
ちなみに、100%日本人である大我のジャズドラムは、よく「黒人みたい」と表現される。それはこの社会でのこの上ない褒め言葉と受け取って喜んでいるし、誇りに思って励みにしている。狭い世界かもしれないが、そこに生きる人間は真剣なのだ。他の社会と同様に…
さて、寿齢の博士…。
この発言が真剣に生きている多くの人々をどれだけ深く傷つけたか、しっかりと考えてほしい。
科学者だから頭で分析するのは自由だが、発言すべきことがどうかの判断が出来ないところがまずどうなんだろう。「知能指数」を量るように、人の痛みがわかるとか、回りに気を使えるといった「良識指数」みたいなものがもし算出できるなら、この博士のその数値はいかほどなのだろうか。そういう意味も含めて人にはそれぞれ得意分野、不得意分野があると痛感する。
人種がどうであれ知能指数の高い人の多くは、たぶん我々が生活する社会にとって有益な人材で、少なからずその恩恵を受けているだろう。しかし、それは時として地球上に多くの不幸を生み出しているということも紛れもない事実だ。
*その後ワトソン博士は、根拠はなかったとして発言を撤回し、公式に謝罪したらしい。謝罪するなら最初から言うな!って人は洋の東西を問わずどんな社会にもいるようだ…